[隨筆] 外交は踊る [46 ] : 崔浩中 - 번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]
e. 李源京長官
李源京長官は物静かで温厚な気性なので対人関係が穏やかだとの定評持ち主だ。其れ故厭がる人が居ない。日帝時代東京帝大に合格した程の秀才だった李長官は、外務長官に先立って公報部と体育部で長官職を務めたからには官運もすごく良い方だった。
李長官は一時自ら官職を抛棄した事がある。民主党政権の時外務部儀典局長の座を退いたのだ。私は駐美大使館勤務を終えて儀典局所属の旅券課で働いていたが、直屬上官の突然の辞退は私をすごく驚かせた。あれほど仰ぎ見る局長座をどうして簡単に投げ出すことが出来るのか理解出来なかったのだ。
李局長が座から退いた理由はすごく簡単なものだった。当時の薄俸では到底家計を支えることが出来なかったので待遇の良い私企業へ移るとの事だ。李局長が外務部を離れる前に局所属全員は李局長と共に会食の座を持った。雰囲気が沈鬱にはまるのが当然なのだが、以外に明るく和やかだった。それは李局長の表情や身のこなし、話術等のおかげである。私はこのように立派な方を外務部で失う事を哀惜に感じたものだ。
その後、李長官は外務部へ復帰して駐日公使を務め、1961年から1962年にかけて約一年間外務部次官の座にも居たが、再び外務部を離れて言論界へ赴いた。それで李長官は公館長の経験を持てなかったのだ。
Rangoon蛮行事件後ミヤンマへ往復しつつ事態收拾に優れた腕前を見せた李長官が、体育部より外務部へ座を移した時私はベルギーで勤務していながら外務部が再び李長官を迎え入れた事を嬉しく思った。大変な目に逢った後で浮き上がっている外務部を静める事に適格だと考えた故だ。
翌年四月にベルギー首相がヨーロッパ国家首相としては最初にわが国を公式訪問した時、私は一時帰国して李長官と嬉しく再会した。李長官も私を温かく迎えてくれた。
訪韓日程を終えたベルギー首相を送った後、続けて行われるEC執行委員長の訪韓を待ちつつ宿所のホテルで静かに休んでいると、李長官からの呼び出しがあった。何の事だろうと訝りながら私は外務部へ急いだ。李長官は私を見るや事が少し急く事になったと云いつつ、私が商工次官に內定され、すぐ正式發令が出る故、知っていてほしいと通告するのだ。ひとまず商工部へ行って事務を引受した後、ベルギーへ帰って離任手続きを行うのが良かろうと云う。
私はびっくりした。商工次官になるのがたいした榮進ではないけれども、正直言って嫌では無かったのだ。ただ、ずっと身を携わって来た外務部を離れることがやるせなかった。ずっと務めていた外務部を離れるのが切なかった。何と言えば良いのかわからず一時モジモジしていたが、派遣勤務へ赴く心で行きますと辛うじて言うことが出来た。李長官は頷きながら元気で行って来なさいと言った。
商工部に赴いている間、外務部は綜合庁舎八階に商工部は四階に座を占めていたので、私は本家を頭に載せているようでちっとも淋しくなかった。商工部で私を外務部のみ考えている人と思うかも知れぬと注意しているうち、ちょうど一年半目に私は外務部に帰った。
李長官は外務部に戻った私を温かく迎えた。良く往ってきたとも言った。しかしながら、サウジアラビアへ行く事になっていた私に李長官を近くで仕える機会は与えてくれなかったのだ。
サウジアラビアへ行って一年足らずで李長官は外務部を離れた。サウジアラビアで私の前任者だった後、UNへ座を移った崔侊洙大使に長官の座を渡したのだ。
李長官は六十才を越えた歳で長官職に留まっているのを気まずく思ったのか、又は外務部のずっと後輩だった盧信永總理の下で長官で過すのが具合い悪かったのか、普段座から退いたいとの心をしばしば明したと知られていた。
私が直接目擊した事だが、多くの長官と一緒の私席でとある長官が、外務長官は定期国会と同じタイムのUN総会に参席する言訳で国会に出席しなくても良いし、頭の痛い国内問題で野党議員等より座を退けといった声を聞かなくて済むので嬉しいだろうと言うや、李長官はにっと笑いつつ、退けといったら退けば良いじゃないかと平然に受け答えた。
李長官は外務部の仕事をほとんど全部次官に任せるようにして、重要な仕事にのみ関与する超然 なる態度で一貫した。緻密で有能な次官を携えている故でもあるが、それは多分李長官の性品であったろう。そのような姿勢には私も同感だった。
李長官はゴルフがすごく旨く、また好んでいた。体育部長官、それにオリンピックに関わる職責を歷任した事が偶然では無い事を悟らせる程だった。IronよりはWoodを旨く驅使しつつきちんきちんとホールを攻略してスコアを減らして行く手際は実に逸品だった。
李長官は座から退いて間もなく駐日大使の発令を受けて外交界に復帰し、ついに最初で最後の公館長の座を受け持つことになった。盧泰愚大統領がわが国としてはすごく重要な国の美国と日本へ重鎭外交官を送るべきだとの考えで、外務長官を成した朴東鎭, 李元璟の巨物級人士を各各兩国の駐在大使に拔擢したのだ. 両長官は共に65才を越えた高齢で当時の外務部公務員法の該當條項に反するとの見解が少なくないので難しかったけれども、国家の為の政治的配慮に従った統治権者の選択を塞ぐことは出来なかった。
李長官は三年に渡り、あの骨折れてトラブルの多い駐日大使の座を立派にこなした。はるか下の後輩である私が外務部長官になり日本を訪問した時も、気まずそうな所は少しも見せずに平然と仕事を成した。却って私が控え目な身のこなし方だった。
盧泰愚大統領が日本を公式訪問した時も万事順調だった。それは、静かな中でも器用に事務を処理する李長官が大使の座を受け持っているので可能だったのだ。よく扱いにくいと言われる在日同胞等も李長官を信じて従った。すごく緩慢な性格を保っている方が自分等の世話を焼いてくれる事を大きな福と思っていた。
三年という月日が流れるや、李長官は自ら大使の座から退くことを自請し、外交界で育った純粋な職業外交官へその座を譲る先例を残した。
もう野人に戻って心の合う同僚等と度々一緒になり余生を楽しんでいる李長官から、淡々と悠々と生きる人生を見つつとても羨ましく思った。またそのような李長官の生の姿は誰もが見習う値があると感じたものだ。
'번역 [飜譯] > 韓日飜譯 [한일번역]' 카테고리의 다른 글
| 「poem」 도종환님의 시 2편 (2) | 2018.09.04 |
|---|---|
| [隨筆] 外交は踊る[47] : 崔浩中 (0) | 2018.09.01 |
| [poem] 박노해님의 시 한편 (0) | 2018.08.10 |
| [隨筆] 外交は踊る[45 ] : 崔浩中 (0) | 2018.08.03 |
| 도종환님의 여름시 (0) | 2018.07.31 |
