[隨筆] 外交は踊る [50] : 崔浩中 - 번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]
閉じ言葉
私は今度で三度目の本を出すことになる。我等は「三度目」と言いつつ間違ったとか気に食わない事を正すために三度同じ事を繰り返す癖があるが、実にその通りになった。
最初は1997年の秋に出した「頓馬が山頂へ登るまで」といった回顧錄だった。これは私が外交官の道を歩き始めて外務部長官になるまでの過程を年代順に書いたものだ。頓馬は私を指稱したもので、山頂とは外交総帥である長官の座をそう比喩したものだ。
私は庚午年馬の年生まれだが、何事にもすばしこくないのでどれ程大目に見ようとしても、昔も今も駿馬ではない。学生の頃巧く走れない私は運動会で3等で良いから一度でも入賞してみたいとがんばったがその夢を果たせなかったのだ。
外務部へ入った後にも頭角を現わすところか昇進に到っても同僚に遅れがちだった。でも私は性急に振舞わなかった。努めて走ろうともしなかった。たゆまず歩いていると目的地へ辿る事を信じた。たまには似合わないほど早い足並みで他人を追い越したりもしたのだ。
そうする中で私はついに山頂へ到達した。外務部に脚を入れてから32年8ヶ月目で長官になったのだ。頓馬である私がよくも外交摠帥の座まで上がったのは驚くべき事故私はその過程を綿密に書きつつ満ち足りる自負心を感じたりしたものだ。
二度目は1999年の秋に出した「色褪せた栄光の中に後悔は無い」との回顧錄だった。私が外務部長官になって成した仕事を中心に、分野別に結んで記述したこの本は、私の古稀と時期を合わせて発刊した。
この本の序文で私は、人間は誰もが生きて来た道を顧みつつ榮辱の歳月だったと述懷したりするが、私の場合栄光はあったけれども敢えて汚辱と考えれる事が無いのを幸いに思うと威張った。ともすると連れて行かれる警察署、法院のような処へ呼び出されたことが全く無いのを自ら不思議に思っているとも述べた。
私は丁度二年間外務部長官の座を守った。実に張り合いのある榮光な期間だった。北方外交に花を咲かせ、誰も壮言出来なかったソ連との修交を成したし、全世界を相手とする全方位外交の時代を開いたものだ。
私の栄光はそれで終わったのではなかった。副總理の座に上がり統一院の責任を持つ事になったのだ。一年半の間その座に居ながらこれといった業績を残すことは出来なかったが, せめてもの幸いだったのは誰もが容易くないだろうと考えていた南北基本合意書を導き出した事だ。
統一院長官を最後として私は三十六年に渡る長い公職生活を終えた。それからはオマケに生きる人生を始めると決めつつ、この世のもの全ては歳月が流れると萎れるとか錆びるとか色褪せるのが当然だが、私が享受した栄光もその色がだんだん褪めて行くことを予見した。
そうしつつ口癖のように話していた私の生涯に後悔は無いし、過ぎ去った栄光は未だ私の追憶の中で生きている故、その追憶を辿りつつ私が享受した栄光を文で残せば褪せて行く光を少しだけでも長く保つことが出来はしまいかと考えたのだ。で、「色褪せた栄光の中に後悔は無い」と名を付けて二度目の本を出したのだ。
今度出す本には「外交は踊る」と名を付けた。一時は本の題を長く付けるのを選好したものだが、今は簡潔なものを却って新鮮に思うようになった世態を考えた故だ。ふと人生も外交も皆踊る事ではないだろうかと考えたものだ。
だが私が生きて来た道は一つのみで、今度再び本を出すといってもその内容が以前発刊した二つの本と大きく違うことはない。ただ私の外交官一代記を簡潔に再び集約した以外に、私が見て、感じて、経験した事を田舎の食膳のようにもっともらしく繰り広げたに過ぎない。なお、「かっきり三度」と言うが、今度も期待した程の成果をあげたとの自身を持たれないのがもどかしい。
マッカサー将軍は、軍生活を閉じながら、「Old soldiers never die. They just fade away.」との名言を残したが、私はどれほど考えても締めくくりを素敵にする言葉が頭に浮かばない。ただ、「老馬は止らない。ただ死ぬ日まで踊るのみだ.」とつぶやくのみだ。 - 終 -
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