[隨筆] 外交は踊る : 崔浩中 [37] - 번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]
I. 人生を踊る
a. 「がめつい」と「がむしゃら」
人間の生きる方法は様々だ。瓜二つ顔が無いのと同じである。其れ故人生を踊る如く生きる道も各々違うことに決まっている。その中で, がめつく生きる人が居ると思えば, がむしゃらに生きる人も居る。どちらも力いっぱい生きようとする姿勢が立派である。
我々は昔から貧しくて生き辛いほど世間に揉まれていたわけか、見方によれば反抗性が無くもないと言えるがめつくてがむしゃらな生活が身にしみているようだ。がむしゃらにふるまわないと、がめつくすがらないと生き残れない逆境を耐えるためにはそうするしか他の道が無かったわけだ。
がむしゃらに生きる事とがめつく生きるのとどう違うのだろう? 五十歩百歩ではあろうが、何故かがむしゃらな方ががめつい方より良いような感じがする。
がむしゃらと云えば勇ましくて進取的な面を話す感じがするに対して、がめついと云うと世知辛くて利己的な面を現わすようで好感度が落ちる。自分の慾だけを満たすために他人はどうなろうがありったけの力をだして取り組む姿ががむしゃらな姿勢と云うと個人の為には良いかも知れないけれども、彼が属している社会の為にはさほど歓迎すべき事では無いと考えてしまう。
がむしゃらな事が他人に被害を与え無い範囲内で自分が行う仕事に精力を注ぐ姿勢を話す事ならば、これがより望ましくて信じられる。
だが、がむしゃらでも無くがめつい所も無い生活態度もある。淡々と、悠々と生きる姿勢である。見方に依っては無事安逸に気儘に暮す姿勢のようで反感まで持つ事もあろうが、正直言ってそのように生きる事が出来れば何も望ましい事など無い生活態度であることを不定し難い。
淡々と生きる、のんびり生きる、といって努力など何もしないという事では無い。過慾を持たず分相応をわきまえて、急き込まずあわてず落ち着いて充実に生きる態度こそ限りなく羨ましいのではないか。与えられた環境の中で仕方無くがむしゃらに,またはがめつく生きて来たのが我々の過去ならば、今や環境の変化と我が生活の向上にふさわしく、より淡々と、悠々と生きてみるのも良いではなかろうか。
私達は誰かが死んだ時「がむしゃらに生きようと頑張っていたが。。。」と舌打しつつ同情する。しかし淡々と生きていた人が死んだ時は清らかに良く生きたとは言うけれども安価な同情はしない。死んでまで同情を受けるのは可憐し過ぎるではないだろうか。
がむしゃらに努力し七顚八起の苦難を経てついに高等高試に合格した人に誰もが称賛しつつ経験談を話して欲しいと言う。血が滲み出る程の努力が高く評価されるのは当然な事だ。だがそのような過程を経ずに容易く高等高試に合格した人も居る。頭脳が良いからでも無く運が良かっただけでもない。淡々と、のんびりと対処した姿勢が意外に良い結果をもたらすこともあるとの事を見せてくれる一つの例でしかない。
随分過ぎ去った事だが、私が高等高試に合格すると, ある雑誌社でどのようにしてその栄光を勝ち取ったのか、その経験を書いてくれとの依賴があった。自分なりの事実を書いて寄越したが採択されなかった。容易く高試に合格したと威張るのは一生懸命受驗準備をしている人々に何の役にも立たないとの理由だった。真夜中まで眠らず食べ物もろくに取らず、失敗しても挫折せず死に物狂いで努力した結果と言ってこそ役立つようだった。
苦労しつつ生きる人のみ殊勝で、気楽に生きる人はそうで無いとは言い難い。ある事件が迫る時、怖がらず慌てず自信を以て毅然と対備した結果が却って成功をもたらす事もあるとの事を知らせてあげても悪くは無かろうが。。
昔も今もわが社会でがむしゃらにへばりつく風潮が痼疾化して行くのが気掛かりだ。政治面で特にそうだ。政権欲一つを以て社会に混乱が来ようが国民生活に弊害をもたらそうが何ら関係も無しと、ただがむしゃらにへばりつく政治人が少なく無いようで心配だ。このような政治人が政権を握った場合どんな政治が開かれるだろうか? 徳も無く人情味も無く、一時逆境で悩まれて来たからには、さて権力を振るって見ようか、といった姿勢でがむしゃらに突っ掛かる事が火を見るよりも明らかだ。
外交も同様だ。がむしゃらにくっつく事で必ず目的が達成するのでは無い。Give and takeの敎科書的基本理論を掲げなくとも、自分の主張だけを通そうとすれば却って損害を被る場合もあるとの事を我々は数えきれ無い程経験して来た。
交渉で合意に到達しなかった場合マスコミではこれをすぐ決裂と表現する。しかし正確に言って未合意であるだけで決裂では無い。合意に到達する一つの過程を踏んだと悠然な姿勢で次に対備すれば良い。こちらががむしゃらならばあちらもがむしゃらであるはず、そんな中でどう円満な合意が成されるのか、がむしゃらは決裂につながるとの事は明らかなのだ。
我々が良く見られる如く、どの社会であれ自己調節の機能を持っているのは実に幸いな事である。人力で調節しようとしたならば巧く出来なかった上に力も相当入っただろう事事が自然に解けて行くのを見れる場合は不思議な気もする。
わが社会にはがむしゃらに生きる人、がめつく生きる人、淡々と生きる人、悠々と生きる人等が交わって暮している。彼等が適当に交わっている程その社会は調節機能をきちんと発揮して順調な発展をするようになるのだ。
私は淡々と生きようと「悠悠自適」を自分の座右銘にしてこの日まで生きて来た。果たして私がわが社会発展の為に自分の役割を成したのかに対しては全然自信が無い。それは私を知っている人、私と接して見た人々が判断してくれるだろう。
b. 能力と態度
学校で優等生だった学生が社会へ出てからも優等生になる法は無いとの言葉を良く聞く。我々は回りに目を配りそれが根拠無しの話ではなかったと肯く時がある。しかし反面、学校で凄く優秀だったが、社会へ進出してもなるほど違うなあと感嘆する場合も少なく無い。
可能ならば学校でも社会でもずっと前に立ちたいと思うのが誰も抱いている欲望ではあるが、欲望通りにならないのが世事であることをどうすることも出来ない。何事も慾を抱えていたと言って適えるのでは無く、慾を果たす為の要素を携えねばならぬのが勿論の事だ。
金溶植外務長官は、公務員として成功するためには能力と態度が重要である事を力說した。昇進人事で喜悲交々の中、意を果たせなかった対象者等の不満が高潮していたある日の朝会で行われた金長官訓辞は大体次のようだった。
「誰もが賢く有能な中で一人を選ぶ状況に処すると、平常の態度を斟酌しなければならない。一口で態度と言うがその中には色々があるわけだ。一生懸命研究する態度、所任を成そうと努力する態度、上司に仕える態度、部下を愛する態度、同僚と協助する態度、公務員として市民に優しく対する態度、普段の端正な身のこなしと、つつましく生活する態度等等々だ。この全てを綜合して評価した結果をもって優劣を諭する故、不平、失望、挫折に先立ち、自己反省をせよ」。
その時私は昇進対象ではなかったが、金容植長官の論理に頷いたものだ。それから自己反省の貴重な機会を持つ事が出来た。
よく人々が外務部の人達は賢いけれども態度が気にくわないと言う。皆エリートだが、自分の偉さのみ掲げ、他人を軽視するので困るとも言う。すごくエゴイスティックで排他的で巧く協助出来ないと。勿論全てが妥当だとか根拠ある話では無いが、だと言って一考の価値さえ無いとも言えない. どうしてかような話を聞かれるようになったのか静かに考えてみても害にならない筈だ。
従弟が田んぼを買うと肚が痛くなるとの古言がある如く、賢い人や偉い人を見ると我知らず猜忌の念を抱き気に食わなく感じるのが人間の生理であるからには貶すだけには及ばない。それがたとえ根拠の無い反感であるにしても、他人がそのような感情を抱かないように自ら気をつけねばならないのは賢い人が他人より偉いとの事で担ぐようになる余分の負担だ。
海外で勤務する末端外交官は飛行場当番をする事が主な任務の一つだ。星雲の夢を抱いて難しい関門を貫いた末にやっと外交一線へ出るようになった身としてはむさくるしい雑務である。それさえ、一度も見たこと無い、たまさか高位職に就いた精錬美など全然目に付かない高官を、曙とか真夜中に遠く離れた空港まで出掛けて迎え入れねばならぬ時には、我知らず頭のてっぺんまで怒りがこみ上げ我知らず態度がおだやかでなくなるのも無理ではない。何の荷物がこれほど多いのか、両手で全部持つことが出来ないほどになると不満の声が喉までつき上がる。このような時もぐっと耐えねばならない。そうでなければ態度が悪いと罵られる。自分だけでなく外交官全体が悪口を聞かれることになるのだ。
明晰な頭脳で刃のような性格を誇っていた青年エリート外交官も、歳を重ねるとだんだん性格が穏やかになり態度が和らぐ。現実と妥協する事も知り、相手の立場を理解する事も可能になる。謂わば修養と経験の不足で悔しい誤解をもたらした本意で無い不穏な態度が消え、円熟した外交官として成長する過程を踏むことになるのだ。
その過程を順調に踏んで行く人には明るい将来が展望し榮進の道が開かれる。それで誰もが昇進する中で自分のみ遅れを取る悔しさや恥ずかしさを味合わないで済むのだ。自分の名前が抜かれた新聞の人事欄を家内が、子供等が、父母が、親友が、それに後輩等が見ることになる恥を免れることになる。
妥協することを知らない我執, 讓步することを知らない独善、抛棄出来ない執念、すべてもっともらしくて聞き良い。しかしながら誰もがそのような態度ではその社会がどうなるだろうか。
とある美国大使館で発行した生活守則に、その任地では自動車を防禦的に運転しろ(Drive defensively)との句節があるのを見て共感したことがある。交通を違反した車がやみくもに突っ走て来ても避けず自分は交通規則通り運転すると言い張っていて、その車にはねられて命を落としたなら自分のみ損で、えこじの正当性など何の意味も無かろう。
本当に能力優れた人は、自尊心を傷付けず卑屈にならずに妥協することを知り、たまには譲歩することも知り、時には破棄することも出来る生活態度を覚えねばならない。そうすることこそ学校で社会で家庭で、尚国内外を問わず、どの場所でも優等生役割を成す事とが出来るのだ。
c. 官運と人德
共に官界へ足を踏み入れたものの、誰は長官にのし上がり誰は局長にも上がれず官職から退く場合がある。こんな時前者を以てよく官運が良い人と言う。元はと言えば、その人の性分とか能力がさほど優れたとは言い難い場合がたまにはあるけれども、高位職に上がる故官運が良いとの話が間違い無いと認められるのだ。
良い人間で能力もあるが青雲の志を遂げずに中途下車する場合を見ると限りなく勿体無い気がするが、官運の無い人だと同情しつつ諦めねばならないのは実に気の毒な事である。
人間の力ではどうしても出来ない場合を以て運だとか運命だとか言いながら自嘆し自慰するのがか弱い人間の習性なのだ。官運も悪さも人間の持って生まれた定めなので、どうあがいても仕方の無いことだと早めに諦めてしまう人が少なくない。
だがこの世の事がなんら努力無しでは巧くならない事であるからには、自分の将来を官運にのみ預けて幸運の道がひとりでに開くのを待つとか、成り行きに従って感受するといった無気力な姿勢は感心出来ない事である。
どれほど努力しても不可能な場合が勿論少なくないが、最善を尽くしたにも関わらず巧くいかなかった時にそれを運に回すのは潔いが、努力もせず運に回すのは男児として卑怯すぎる態度ではなかろうか。
私は三十六年間公職に居ながら官運とは人福と密接な関連があると考えて来た。社会生活を行うにあたっては良い人に出会うことだと考える。まず重要なのは同僚だ。独りでやる仕事より他人と共に成さねばならない仕事が多いのが社会であるからには真心で手を取り合い共に仕事が出来る同僚に出会うことが重要なのだ。同僚と言って常時協助者であるわけにはいかない。時には長い人生旅路で競争者になる場合もある。しかし善意の競争者は自我発展に鞭打つ促進劑役割をする事がある故、無いよりはある方が良いと見られるが、ただその競争者が加害者とか妨害者で無い事だ。同僚の重要性が強度で感じれるのはまさにこのためだ。
良い部下に巡り合うのも重要だ。地位が上がる程多くの部下を抱えることになるが、部下をうまく指揮統率することが重要で、その部下が良く従いうまく補筆する事がより緊要である。王様が奸臣の猿知恵に騙されて国を滅ぼし自身をも滅ぼした例を東西古今の歴史を通じて我々は数えきれないほど見て知ったものだ。
部下になった立場で見れば良い上司に巡り合えることが特に重要だ。最初から上司にはなれない故上司に仕えるのは誰もが経る過程であるが、良い上司に巡り合えるかそうでないのかが官運を決定させると言っても過言ではあるまい。
人事配置の基本原則を適材適所という言葉で集約出来るが、適材を適所に起用する事はまったく上司に依るのだ。上司の立場で見ると能力あり性格優れて自分の話を良く聞く上、能動的に良く仕事を成す人に重要な座を与えたい筈で、自分をそのような人間と見てくれる上司に出会うと出世の道が開くのは当然の事だ。
人に依って食べ物や身に着ける物に関わらず各々趣向が異なる如く、人を見る眼も各々違うのは拠ん所ないことだ。同じ上司に仕える部下の中で誰々はその上司にすっかり気に入っているが、誰々は気に入られないといった場合を我々はよく見る。だが気に入らないその当人が他の上司にはすっかり気に入ることがあるのでこの世界には実に説明不可能な不思議な事柄が少なくないのだ。其れ故良い人に出会わねばならないとか人徳を担えて生まれねばならぬとの話をするようになるのだろう。
だがじっと考えてみれば、この世の事全てがうまく成されるか否かは受け持った與件よりも自分自身に因るとの事を我々は良く知っている。自分が巧くやれば同僚がうれしがり、部下がよく従い、上司が信頼してくれるのがあまりにも自明ではなかろうか。
良い同僚に出会うのを願うことに先立って自身が彼等の良い同僚になるようにふるまい、良い上司に巡り合うのを願う前に上司が信じて使う部下になるよう精進する姿勢を見せれば、誰がその人を嫌と言うだろうか。
元はと言えば、官運や人福は生まれつきと言うよりは自ずから取りつける事が貴重で、潔くて堂々として誇らしく、といった心構えならば、誰彼を恨むとか薄情に思う必要無く気楽に一生を生きることが出来そうだ。
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