駐日二等書記官 - 東京オリンピック (六)   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

.東京オリンピック
公務以外に, 私生活面で忘れられないことと言えば, 二番目の男の子を日本でもうけた事と, 世界オリンピック大會を東京で見られたことだろう.

次男は1965年2月3日に生れた. 女の子を願う心が無かったとは言えないが, 男の子だと, 大きくなっても兄弟が互いに支え助け合うことが出來るからそれも望ましいことだけに, 嬉しくもあり, 又有り難かった.
たまたま來日しておられた母も手放しで喜んだ. 賢植(ヒョンシク)と名前をつけた. 髮の毛がまれにしか生えてない点を除けば非の打ち所のない赤ん坊で, すくすくと丈夫に育ってくれた.

東京オリンピックは1964年の秋に開かれた. さぞ壯觀な入場式が繰り廣げるだろうとの期待で入場券購入希望者が殺到し, やむなく抽籤することになった. 幸い一枚が當り, 外交團より配當されたチケットをもう一枚手に入れたので, 家內と一緖に入場式を觀覽することができた.

太極旗を先頭にわが代表團が入場する時はすごく感激したし, わが選手らの勝利を期待し祈りもしたが, 戰績はさほどかんばしくなかった.
國技と見なすサッカ-試合でもわがチ-ムは慘敗の連續だった. 豫選リ-グ戰が5,6回行われたが, 一點のゴ-ルも得られず, 零敗が重なった.

金メダルを狙う機會が一度有ったが, 惜しくも銀メダルにとどまった. 鄭申朝選手がボクシングの決勝戰で敗けてしまったのだ. 鄭選手は, 準決勝で見事に勝利したが, その際右指をけがし, 決勝戰では左手のみで鬪わねばならなかったからだ.

オリンピックの閉會式には母を伴った. 徐徐に暮れ行く黃昏どきに始まった閉會式は, 秩序整然だった開會式とは對照的に, みんなが兄弟姉妹になったような家族的雰圍氣の中で進行された. 選手團も國家別に入場せず, 誰彼かまわず寄り合い場內に相次いで現われた. 服裝もまちまちで, 數多くの選手が互いに肩を組み, 手に手を取り合っていた.

選手入場がそろそろ終る頃になるとあたりはすっかり暗くなり,スタジアムの周りに?火を持った學生らが立ち竝んだ. 閉會が宣言され, 場內の明りが一つ二つ消えるや, 選手と觀客の間で自然と別れの歌が流れ始めた. 合唱でなく雜唱ではあったが, それでなおさら感動的だった. 母も素晴らしい見物だと言いつつにこにこしていた.