[古畵] 五峰山日月圖   -   민속문양 [民俗紋樣]


          
五峰山日月圖は, いわば王樣專用の圖式的繪畵です.
この繪は,王樣のお出ましの所ならば何處でも御座の背景として設置されました.
では, この繪にどんな意味が含まれているのか, 各素材の象徵的意味を調べてみました.

五峰月圖は,空に浮ぶ赤い太陽と白い月, 靑綠色の五つの峰から成る山, 谷間に流れ落ちる二筋の瀑, 赤茶の幹に綠色の葉をいっぱい付けた松の木, 竝びに波や泡沫で搖れる水を素材として描いた繪を指します.
五峰山日月圖は, 現在景福宮の勤政殿をはじめ, 昌慶宮明政殿, 德壽宮中和殿, 昌德宮仁政殿等,各宮殿の御座の後側には勿論のこと, 昌德宮大造殿の板廣間, 又は神仙院殿龕室等の寢殿や, 先王を奉る靈殿內にも設置されて居ます.
尙, この繪は室內用以外にも, 王樣が臨時たたずむ場所, 例えば殿試が行われる科擧試驗場等の野外にも王の周りを莊嚴に飾る繪として使用されました.

ときに, この繪に對する名稱のことですが, 一部ではこのような形式の繪を"日月崑崙圖"と呼みますが, これは間違った呼び方です. 崑崙山は中國の古代神話に出て來る傳說の山で, 崑崙山は 峰が五つでなく三つからなっていると傳えられます. 尙, 朝鮮末期,漢山居士が作った《漢陽歌》の中で, この繪を明らかに‘五峰山日月圖’と示めしたのを見ても,"日月崑崙圖’は間違いであることが分ります.

靑綠係の眞彩で描かれた五峰山日月圖は, 構圖や素材の面で定形化されており, 畵家の創意性や氣質はまったく窺えません. 畵家自身が眺めているのでなく, 常識的なものを描こうとしているからだと思います.
五峰山日月圖は, 當代人の自然や宇宙に關する普遍的で集團的な認識に基き,太陽と月, 山と水等,自然物を以て象徵化されたと言えるでしょう. こんな象徵を私達は圖式と呼んでいます. 人人は, この圖式を眺めながら, その奧に秘んでいる意味を引き出し, 繪の中に含まれているものを悟ったりしました.

五峰山日月圖の背後には, 韓國はもとより, 東洋の樣樣な傳統思想が混在·融合された狀態で存在していると言えます.
一つは, 五嶽信仰との關聯性です. この繪の中心素材となっている五つの峰からなる山, 則ち五峰山は,東洋古來の山嶽信仰, その中でも五嶽信仰と關聯して考えられます. 五嶽とは, わが國の場合, 東嶽金剛山, 南嶽智異山, 西嶽妙香山, 北嶽白頭山, 中嶽三角山を指します.
國土の山の中で重心的五つの山を五嶽に設定し, 神格を與え, 山神に祭祀を行うことは韓國人の基本的山嶽信仰であり, それは天神思想にも繫がることでした. 神の子息である桓雄天王は,太白山に降臨された山神であり, その息子檀君天王は阿斯達の山神でした.
從って三國時代から五嶽山神に對し, 國で祭祀を行って來ました. 高麗時代には, 山神に祈雨祭を上げたり, 子孫の惠みを拜んだりしましたし, 朝鮮時代には守護, 救病, 降雨等を祈ったりしたものです. いわば五嶽は國家の發展や安寧を守ってくれる存在であり, それを奉る事で國の隆盛と王權の無窮發展及び繁昌を保つと固く信じて居たのです.

二つは, 道敎思想との關聯です. 道敎では,この五嶽を人間の吉凶禍福を管掌する山と信じました.
三つは, 陰陽五行說との關聯です. 陰陽論は, 宇宙や人間に關する全ての現象と生成消滅を, 陰陽の消長·變轉に基づいて說明する理論です. 則ち, 五峰山日月圖に描かれた太陽と月は陰陽の理致を示していると見たのです.
四つは, 五峰山日月圖の中に, 五行思想や五嶽思想とはまったく關りない松の木が構えていると言うことは, 繪の中に王室の無窮な繁榮と共に王の權能を稱誦する意味も含まれていると見なされるのです.
五つは, 吉祥への念願と, 附與された象徵性に關する內容です. 五峰山日月圖の中で波打つ水は, 山壽福海といった東洋古來の吉祥觀念から來たもので,福を象徵しているのです. 水には, もう一つ‘朝庭’と言う意味が含まれておりますが, それは, 海の波, 則ち潮と, 朝廷の朝の發音が同じ所から由來しました. このような例は, 文武官がまとう官服の胸背に施紋されている波の紋樣からも窺えます.

以上をまとめると,〈五峰山日月圖〉の五つの峰から成る山は, 東洋傳來の山嶽信仰, とりわけ五嶽信仰と關聯深いと考えられますし, 太陽と月は, 陰陽五行思想と, 松の木や波の登場は王を始め, 宗廟社稷の永遠無窮なる暢達を稱誦する意味が含まれていると見られます.
            <出處 : 韓國精神文化硏究院 . digital韓國學 >