菊池溪谷での四日間 - 기행문 [紀行文]
女學校時代の仲間たちの集いがもう何十年も續いているが、每月の會費がある程度
積もると, それを使いたくてむずむずし、ついには外國旅行となるのが常で、
今度もそんな謂れでにわかに九州溫泉旅行と話がまとまったわけである。
さっそく旅行社に電話を掛け、飛行機チケットと溫泉旅館、二日間の貸し切りバスを
予約して貰った。一行十名みな日本語が聞き取れるので案内員は斷り、水入らずの
親友だけで出發したのが一月22日、てきぱきと仕事を運ぶ會長のおかげで
難なく熊本空港に到着、出迎えた旅館のシャトルバスで菊地溪谷に構えた月華亭へ,
そして二人づつ割り當てられた部屋に荷物をおろした。旅館の配慮で二階は私たちだけ
泊ることになり、周りに氣兼などしなくとも濟むことになったのがなによりも有難い。
早速夕食についた。料理長が腕を振るってこしらえた懷石料理を前に、
ビールコップを高く上げ乾杯! 食前酒の梅酒も口あたりが良い。
風邪の後で食欲がなかったが盛り合わせの刺身はおいしかった。仲居さんが
次々に運ぶ料理をそれでも半分は平らげたようだ。
食事が終わってカラオケになった。韓國の歌も結構入っていて、我先にと歌い、
踊り,手拍子を取る。老女達のどこにあんなエネルギーがひそんでいたのか、
總立ちになって合唱するなど、たいへんな盛り上がりだった。
時間が遲いからだろうか大浴場も露天風呂も私たちだけ、申し分ないお風呂だった。
翌朝、九時に現れるべきバスが見えない。旅館で手配したのでもないのに
支配人が慌て出し、ソウルの旅行社に電話するやら、私たちに誤るやら、
早足で行ったりきたり。。途中でバスが故障し、他のバスで出直すため
遲れたとのことだったが、惜しくも一時間半をふいにしてしまった。
菊池溪谷を經て菊池阿蘇スカイラインに入り、ファームランドに向かう。
くねった山道の景色は冬の殺風景さなど微塵も無く、ぎっしり詰まった杉のためか
目を見張るほどすばらしい。バスの中でデジカメを向けるが,思うように
撮れないのがもどかしかった。
遠く連なる山が小岱山で、三つの峰が佛の顔と腹と膝を立てた足に見えるので
大觀峰と呼ぶとかの運轉手さんの說明が耳にはいる。そうだ、ソウルにも
ケネディ大統領の横顔そっくりの峰があったっけ。
ガイドが居ないから運轉手さんの簡單な說明でもすごくありがたい。
私個人的にはファームランドのファームヴィレッジや工芸村など、ファーム全体に
興味があったが、またの機会にしてみんなとそこのレストランで
ビュッフェ晝食を取った。
果てしなく広がる草千里、ヤマナミハイウェイを走って湯布院へ。
仲間の誰かが良いところだと推薦したのでスケジュールに入れたが、ちと遠すぎる。
以前娘と湯布院で泊ったことがあるが、山の麓のロッジ風ホテルで露天風呂など
浴びながら寛ぎ、街には降りて行かなかったので、目抜通りは初めてだが、
着いて見ると予想通りこれといった見物が無かった。
金鱗湖でも見ようかとぶらぶら歩いたら人力車が停まっていた。
好奇心が頭をもたげ、しりごむ仲間を强引に誘い十分間そこいらを乗りまわる。
車引きの若者が走りながらあちこち說明してくれるのを聞きながら古い町竝を
眺めるのもまた愉しい。旅の思い出がもう一つ増えてうれしい。
夕餉の時支配人が翌日のスケジュールを確かめに來たが、今日の長いバス乘りに
こりたのか, 午前のスケジュールを取り消そうと一人が言うとみんな贊成、
せっかく旅に出たのだから冬の海を見るのも悪くないと思って私が取り入れた
スケジュールが泡になりそうだ。支配人がどうせ熊本市内まで一時間かかるから、
三十分ほど足して海を見ても時間はたっぷり殘ると説明すると、みな
しぶしぶスケジュール通りに廻ることを受け入れた。
それにしても、わがままで自分勝手な老女10名を相手に、よくも支配人は
いやな顔ひとつせず、いちいち面倒をみてくれたものだ。あらためて
感謝の念をファックスで届けることにしよう。
海に向かう道の兩側は廣々とした田畑が繋がり、麦はすでに芽がのびていた。
黄緑に覆われた野原がのどかな早春を感じさせる。
畑には案山子の他に黒いビニールの旗が數多くはためいていたが、運轉手に聞くと
鴉除けのためだと。百姓の惱みがそのまま伝わる。
果てしなく廣がる海は何時眺めても胸にしあわせを抱かせてくれる。
きれいに晴れた日には長崎まで見渡せるそうだが、今日はかすんで見えない。
煙を吐く雲仙も見えるような見えないような, 島と島を繋ぐ橋が遠く
まるで割りばしのように見えた。
海邊のレストランでアイスクリームを取りながら休憩。
一人でドアを開けテラスに出た。爽やかな風が海を渡ってくる。體を大きく
開き胸いっぱい風を吸いこみながら、これで体の隅に隠れているかも知れない
風邪菌を追い出せると確信した。
午後は水前寺成趣園を見ることになっていた.
この桃山様式の回遊式庭園には15年程前、妹と真夏に訪れたことがあり、
稲荷神社の前の赤い鳥居が懐かしかったが, 真冬の今も別に変ったところは
無かった. 觀光客がまばらな点を除けば....
ゆっくり公園を一回りしながら、華やかな過ぎ去りし日を想像し, 隅々まで手入れの
行き届いた日本特有の庭園を褒めたりする.
能楽堂と書いた立て札があり、目を上げると奥の方に能楽堂の建物がみえた。
能と言うとすぐ立原正秋が浮かぶ。’薪能’と言う短編を讀んでこの作家がもっと
好きになったからだ。nhk衛星放送を通していちおう舞を見てはいるが、
實演を見なかったから真の味を感じられない。
ラストナイトにもう一度カラオケパーティが繰り広げられた. 60年を共にした
親友だもの、思いっきり歌い、はしゃぎ、踊りまくってもちっとも恥ずかしくない。
最後に'友よ!'という歌を合唱する時は、一人が泣き出したのでみんな
貰い泣きをしながら一塊になって、気の遠くなるような月日を通して織り上げた
固い絆を確かめ合ったものだ.......
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