智異山へ登った事は...?   -   기행문 [紀行文]

今度の秋の旅行は '智異山1泊旅行'に決ったとの案內狀が屆いた時 正直言って私は
心配が先立った. 1泊旅行と簡單に言うが,バスに4時間以上搖り動かされると
思っただけでぞっとする.  萬一腰ディスクでも再發すれば大變だし,それに一行には
迷惑この上無い. しかし...と私は考え直した. とにかく, まだまだ自分の足で
堂堂とは行かないまでも, 普通の人ぐらいは步ける內に出掛けることにしよう!
私は何よりもまず必要な藥をチェックした.

午前中ずっとバスに搖れ, 午後2時過ぎにやっとたどり着いた智異山で, あえて半世紀前の
そら恐ろしい記憶をよみがえすこともあるまい. 幾重にも重なった山奧でパルチザンが
どのように生き延びたか考えることもない. ただ,目前に廣がる壯觀を網膜の裏に
しっかり撮っておけばそれで良いのだ.
元元紅葉を誇る山ではないから別に期待してなかったはずが, 曲る度に繰り擴がる
色の饗宴に思わず,わあっ! と歎聲をあげる.

雄大な智異山は數多くの古刹を抱えていた.
最初に私達を下してくれた所は, 南原の實相寺, 單一寺刹としては最も多い文化財を
保有してると言いつつ, '正しく見るわが文化'という大層な名前の旅行社若社長が
仔細に九山禪門から說明し始める. 

                                  百丈庵三層石塔-國寶10號
 

                                     浮屠-寶物第36號
隱退した大學敎授等,學究派らは熱心に耳を傾けるが,私のような凡人は,
境內をひと廻りしながら, 法堂に沿って流れる秋風を樂しむのがおちだ.

老姑檀にも寄れずそのまま下山するバスの中で向うの山に落ちる太陽を
眺がめられたのは願ってもない幸運であった. あれ以上炎炎と燃え上れようか!
あれ以上赤いものが他にあろうか!
山の彼方に沈んだと思った太陽を次の曲りで再び迎えた時, 私は, 深山で眺める
落照のすばらしさを, 間違いなく胸奧に燒き付けることが出來た.

宿での晩餐の際,合唱大會のメンバ-達が披露しためちゃくちゃ20部アカペラは,
歌う側も聽く側も腹をかかえて大笑いするハプニングだった. 無伴奏コ-ラスの
難しさをいやというほど痛感したものだ.

昨夜,繪のようなまんまるいお月樣が出ていたが, 今日は正に淸天の秋日和り.
長時間のバス乘りでへとへとになり, また夜は積った話でろくに眠りもしなかった
はずだが,翌朝食堂に現れた彼女等の顔は一段と若返り,みずみずしさを增していた.

智異山に初めて建てられたお寺と言われる飢谷寺も良いが, 何と言っても私には
華嚴寺が最高だ. 老姑檀へ昇る入口で, 誰もが知る有名な寺刹なので, 周りが
俗世っぽくなってはいるものの,一旦長い溪谷へ足を踏み入れると雜念をきれいに
落してくれる自然が迎えてくれる.
昨日に續いて, 旅行社社長の熱をこめた解說が始まったが, 私は群から離れ,
前回の訪問で受けた感動をもう一度味じわうべく石段を昇る.
あいかわらず端雅な姿で迎える石燈, 對になって座を占めている獅子塔. これらが何時
どのような謂れで其處に置かれたのか知らなくても良い. 祖先の驚異的な美意識を
そのまま感じ,受け入れればそれで濟むではないか.          


一年を指折り待っていた親友との1泊旅行は無情な程またたくまに過ぎ行く.
今後, このような樂しさを果して何回分かち合えるだろうか.
歸りのバスのガラス窓に月が上った.
つきよ つきよ 明るい つきよ.....
一人二人唄い出す月の歌には, 別れを惜しむみんなの氣持がたっぷりと含まれていた.
                                                                          (2000年秋)