[隨筆] 外交は踊る : 崔浩中 (19) - 번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]
長官就任後の初常任委員会で私を苦しめたのは平民党所属文東換議員の刺々しい質問だった。今は世界が和解の時代に差し掛かっているが、南・北韓間の緊張が続いているのは、いまだに我々が北朝鮮を温かく取り扱わず、打倒の対象と見ているためだと断定した後、在野圈でよく担ぎ出す、衣を剥がすのは荒風でなく温かい太陽であるとの、「太陽と風」の話を持ち出しつつ、北朝鮮を狙っている銃を下ろす気はないかと訊ねるのだ。
私はその瞬間決然とした意思を見せるべきだと思った。国を守り治める仕事は抜け目があってはならないとの信念故だ。
「今世界が大きく変わっているのは事実だが、北朝鮮の対南姿勢に何らの変化も無く, そちらで我が方へ銃を狙っているからには、我らがなまじっか銃を下ろすわけにはいかないだろう」とおっかぶせて言い放った。北朝鮮の改革と開放を誘導しつつ, その成り行きを見極めながら処するのが政府の成すべき正しい道であることを信ずると述べた。
この答弁が、近い所に坐り見守っていた金鐘泌共和党総裁の気に入ったようだった。会議が終わった後答弁上手かったと激励してくれたのだ。それから私にずっと温かい視線を送ってくれた。
金泳三民主党総裁は常任委員会に比較的多く出席していたが何らの発言も行なわなかった。それでもソウル大学後輩の私に、プライベートな席では温かく手を握って、いつも身近く思っていることを示した。
金大中平民党總裁は唯一度私と一問一答を行なった。しかし攻撃的なものでは無く、私がどの程度の水準なのかを知ろうとすると共に、自分の所信や見解を明かすことに主な目的があるように見えた。金総裁の長くて詳細な発言に対する私の答弁が比較的短かく不十分であっても反問せず、次の質問に移るのだ。
こうして私は比較的答弁を上手くする長官と評価された。これは実に意外だった。多くを知りもせず上手く喋ることも出来ないのを自分自身良く解っているからだ。多分偽りや飾り気の無い私の丁寧な答弁態度が好感を得たのかも知れない。
私が長官であった時、外務部所属の外交安保硏究院新庁舎が完工された。その建物は外で眺めても立派だが中へ入って見ると広々として取柄があるので、誰が見ても欲が出る建物だった。それが竣工されて間もない頃、意外な所から欲が出始めたのだ。大統領秘書室だった。盧在鳳秘書室長はソウル大学敎授であった頃から、他人が考えれなかった妙案を出すことで知られているが、盧泰愚大統領治績の一つとして、国際機構をソウルに誘致し、外交安保硏究院庁舍をその本部に使用したら良いではないかと発説し始めたのだ。
その頃盛んに改編問題が檢討されていた外務部登錄機關の世宗硏究所から外交安保硏究院硏究機能を吸收して外務部は外交官訓練のみ專担したら良いではないかとの対策方案まで提示するのだった。盧室長は自分の意見を容易く曲げないことで有名だが、外務部で世宗硏究所改編方案を盧大統領へ報告することになるや, その報告書の中に自分のかような対策方案を入れてくれと私に要望して来た。
私は明確に答えずにいた後、実際の報告書にはこれを反映しなかった。するとその場に陪席していた盧室長は、報告に抜けたものがあると言いつつ、自分の対策方案を自ら盧大統領に建議するのだった。同じ研究を二カ所でだぶることより一元化するのが適切だとの論理と、今やわが国も国際機構の一つ位は置くべき時期になったとの主張をその根據として掲げた。
盧大統領は私の意見はどうかと訊いた。私は、そのような対策法案も考えられるものではあるが、国際機構を誘致するということが思うほど単純でも容易でもないばかりか、外交安保硏究院は政府機関として秘密文書まで扱っているのに対し、世宗硏究院は民間機関である故、それが出来ない保安上の制約があり、また、研究を一元化することで現れる利点があるにはあるが、二つの機関で研究させることに因って未備點を相互補完する効果もあると見れる故、もう少し愼重に考慮すべきだとの判断で、今度の報告には反映しなかったと解き明かした。
盧大統領は頷きながら、そのような側面まで深く考えて研究するようにと指針を出した。私の手を挙げてくれたことになる。私はその事があってからいくらも経たない内に外務部から離れたので、従ってこの問題を携えて再び盧大統領へ報告する機会を持つことはなかったけれども、その後この問題は潜まってしまった。すんでの事で、新たな家を上手く建てて幾らも暮らせずとんでもない所に奪われるところだったが、間一髪で免れたものだ。このことは私や外務部のためにすごく幸いでもあり、一方痛快でもあった。
1990年12月27日、私は外務部を離れた。政府総合庁舎大会議室で開かれた離任式では、離れる人と残る人の間に生れるべき名残惜しさが少なかった。それは私が副総理と言う一段高い座に移ることで、尚、外務部と統一院は業務の面で密接な関連があり、もう一つは統一院が総合庁舎の四階にあるので、外務部がある八階とはさほど離れていないという事実故だった。
私は短い離任辭で、長い外交官生活を後悔したことは無いとの話を繰り返した。幾ばくかの功績と言えるものを残すことが出来たとしたらそれは全て皆さんのおかげだと述べた。それから、将来がより重要である故みんな奮発してくれと話終えた。
こうして私が一生を捧げた外交官生活は終わった。1956年4月11日に外務部へ入り、1990年12月27日に外務部を離れたから34年8ヶ月という長い月日が流れたものだ。この期間中、1984年4月から1985年10月までの1年半を商工部へ移っていた故外務部で過ごした期間は満三十三年になるはずだ。
これほど長い月日を共にした外務部を離れながら私の心は以外にも淡々としたものだった。何時かは現れるしかない離別の瞬間が来たとの超然さと、結構一生上手く過ごしたではないかといった満足感からだった。
この日空はどんより曇っていたけれども雪は降らなかった。私が長官の発令を受けてサウジアラビアよりソウルへ帰って来た日には夜通し相当な瑞雪が降り私の行き先を祝福してくれた。だがこの日は外務部を離れる私を祝福する謂れが無いからだろうか雪は降らなかった。副総理の座に上がることになった事を祝福してくれても良かろうが、空は瑞雪を下ろしてくれるほど寛大ではなかったようだ。
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