知らないことは, 素直に知らないと言おう -朴壯烈-   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

とあるウェブサイトへ行ったら, 面白い題が目についた.

"XXOOの發展の爲に"옥석구분(玉石俱焚のハングル發音-オッソククブン)必要"

あれ? 發展の爲には良いのと惡いのを區別すべきが正解と思うが, なんで玉石俱焚?
こんな感えが頭をよぎると共に, 個性のある內容のように窺え, 期待をもって開けてみた.
しかし讀んでみると, XXOOの發展の爲には, 良いのと惡いのを區別し, 惡いのは捨てるべし
といった, どうと言うこともない內容だった.

筆者は "玉石俱焚"を, 玉と石ころを區別するという意味だと思って使用した.
"옥석구분"という四字成語は, "玉石俱焚"と書き, 玉石, 俱(とも)に焚(た)く, 則ち
よいもの惡いもの區別なく, 無條件引っ括めて捨ててしまうという, 實に殺伐な言葉だ.
この人は, 區別して分けるという意味でよく使う, 區分と間違えたのだ.
(ハングルでは俱焚と區分を, "クブン"と同じく發音する)
とにかく題とは內容が完全に逆な文章になってしまった.

だまって見過そうとしたが,コメントを付けることにした.
文章に鑑みれば, 筆者は年輩の重厚な知識人のようで, 萬一, 誰かが意地惡な言い方で
間違いを指摘すれば, 恥かしくもあり, 氣げんを損ねるだろうとの, 奇特な考えからだっだ.
最大丁寧な言葉を選び, 氣を配りつつ, 遠回しに注意のコメントを綴った. その上,
貴下の文章內容に共感すると, おまけまでつけた. 私としては最善を盡したのだ.

昨日, もう一度そのサイトをのぞいて見ると, 題が次のように直されていた.

"XXOOの發展の爲に"옥석 구분(オッソク  クブン) 必要"

改めて讀むまでもなく, どんな言葉で私のコメントに對應したかを感じ取った.
しかし確かめねばと思い, 本文をクリックした. そこには, こんなコメントがついていた.
"玉石俱焚という漢字成語ではなく, 普段よく使う用語として引用したが, 分かち書きが
出來なかった...."
まったく淺はかな誤魔化しだった.

寡聞かも知らないが, 私は今までいいことと惡いことを區別するという意味で
"옥석 구분" を使う用例に出會ったことが無い. もし, 誰かがこう使用したら, それは
この人の場合と同じく, 間違いを犯したのだ.
百步讓って, "옥석 구분"が, 平常使用する言葉だとしても, この人の話には若干の誤謬がある.
"玉石俱焚"という成語の意味を知っていたとしたら, この成語が "玉石  區分"と混同するおそれが
有る事を思い浮べるのが當然で, それでも使わなねばならぬと思ったら,
"玉石を區分"と, 助詞を入れることで, 讀む側の誤解を禦げられたのだ.
この人は全然知らなかった. 誓っても良い.
誤ちを認める代りに, 小賢しくも普段使用するとか何とか, 分かち書き云云と,  
まったく腹底まる見えの噓をついたのだ.

"玉石俱焚"の正確な意味を知らないのが恥かしいことか?
私は決してそうではないと思う. 數多くの古事成語, それにもまして, 數多くのわが言葉の
意味を全て知ってる人間が, 果して存在するだろうか? たまたま, 實にやさしい單語の意味も
知らず, 恥をかく場合がある.
"玉石俱焚"の意味を知っている私が上の人より偉いのか?
とんでもない. 私は, この系統を專攻したので知っているだけで, 上の人が知っていて
私が知らない知識が山ほど有るだろう.

では, 私が "玉石俱焚"の意味を知らなければ恥かしい事なのか?
そうだ. それは極めて恥かしい事になる. 漢文を專攻して居ながら, 玉石俱焚の意味を
知らなければ, 非常に恥かしいことだ.
しかし, 私が玉石俱焚を間違って使用し, 誰かがこれを指摘してくれれば,
私はすごく恥かしいだろうが, 今後は絶對間違わずに引用出來ることを幸いに思うだろう.
辨解するとか, 愚にもつかぬ言いわけを以って一瞬の恥から逃がれようと, あがくような
眞似はしないと言い切れる.

知らないという事は, 恥かしい場合もあり, またそうでない場合もある.
自分の位置で必ず知って置くべきものを, 知らないのは, 恥かしいことだが,
自分とかけ離れた分野の知識を, 知らないのは, 恥かしいことでない.
基本的な禮儀作法を知らず, 正しいわが言葉を知らないのは恥かしい事だが,
コンピュ-タ-の使い方を知らないとか, HTMLが何かを知らないのは, 少しも恥かしい
ことではない.
知らない事を, 知らないと認めないことが, 何よりも恥かしい事であるのだ.

知らないのは罪でないという言葉がある.
複雜極まりなく, 日に日に變化する世の中で, 萬事全てを知ることは, どだい不可能なことだ.
自分に必要だと思えば, 勉强して身につければいいし, 食って行く事に何の足しにもならないと
思えば, 知らなくても構わない.
知らないことを知ろうとせず, 知らないくせに知ったかぶりをするのが問題である.

そう言えば高齡の人ほど, 社會的地位が高い人ほど, 自分は知識人といった自意識が强いほど,
知らないと言うのを恐れるようだ. 自分の面子に大變な傷でもつくと思ってるのだろう.
だからと言って, 知らないのを認めず, 知ったかぶりをして, その場を逃れたとして,
果して後味が惡くはなかろうか?
うまく誤魔化して(大槪はうまく行かないが), その場で恥は免れても, 自分自身に恥かしくは
ないだろうか...

知らないことは素直に知らないと言おう. たとえ恥かしくても.
そうすると, 自分自身に恥をかかせず濟む.
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息子のホ-ムペ-ジをのぞくと, 考えさせる文があったので, 譯してみました.