[隨筆] 外交は踊る[6]:崔浩中   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

外務長官の外遊

外務長官職務上頻繁海外出向いているが李承晩大統領はそうではなかったわが国際的地位くないのでソウルをれる外國外務長官外務長官外国政府より招請けるのもまたなかったが招請があったとしても外貨使用節約のためにそれをれられぬ状態だったのだ 

そのような時期駐美大使館赴任した翌年曹正煥外務長官がワシントン訪問をなされたのためにってくれた John Foster Dulles前米国國務長官葬式弔問使節として参席するためだった秘書としてえた曹長官えるしさでませながら空港かった数多くの記者めかけていたやがて飛行機くや黒装束曹長官がタラップをりて

もう一方には礼帽れたっていた隨行員らぬ単身のおましだった記者達めかけて質問めると曹長官手提げから紙一枚到着声明書だったタイピングがなされていたが々ペンでしたがある実務者作成したものを機内手入れしたのだわれた

曹長官再会出来びよりもともえないうらしい気持にとらわれた理由はどうあれ一国外務長官隨行員一人くおましになったのがすごくみすぼらしかったからだいくら外貨貴重かでないとしてもこれはすぎるとのいでりがこみがるしかしながら曹長官いていて丁重だった新米外交官狭量えで現実世界をまともにけなかったがした 

4。19以後過渡政府民主党政権ると外務部では鄭一亨長官えた鄭長官をよくらなかったが米国留學され博士学位けておりソウル中区国会議員当選UN韓国議員会といった機関だったのはっていたので外務長官としては適格者であろうときく期待けた 

鄭長官対面をしたのは1960,WashingtonでだったUN総会参席のためにニューヨークへかう途中米国朝野との接觸つためにワシントンへった鄭長官一行曹正煥長官単身行次とはなり夫人隨行員3~4えた格式えたおましだった

張利郁駐美大使鄭長官のための歓迎会大使官邸なったそれがまった数多くの学生僑胞らが意外にも歓迎どころか攻駁めたのだ政府がやってるるにえないそれよりいっそ辞任するがかろうとのまでんだその国内政局大変混乱していて議政壇上傷痍軍人占據される事態連日繰されていたのだ

歓迎されるとばかりってこれといった対備をしなかったと鄭長官はすごく狼狽したえたらいかわからずただただ眼鏡だけをいていたまずい雰囲気大分続くや鄭長官夫人李兌榮女史、「いてさいいながらさなまいをえるのにも時間るのに財政それも滅茶苦茶になったものをすためには大変努力時間るのは仕方がないだからどうか性急にならず見守ってくれうのが彼女発言要旨だったこのはそれなりに説得力があったのか場内しづつまった鄭長官間違いなく内助をじっくりけたわけだ

朴正熙大統領時代にも長官外遊制限されていたもっとも夫人同伴した旅行えられないことだったそのような難関をくりぬけて外務部長官夫人同伴して海外出掛けるいたのは朴東鎭長官せっかく外務長官海外出掛けるからには夫人一緒出掛けれども国内一般的空気外貨節約せねばならぬ雰囲気ではもこのことをせない実情だった

国務総理大統領秘書室長大統領への進言せばいがこれを期待できしい状況下朴長官ってるしかないと決心したのだ

大統領外務長官独特役目上夫婦同伴海外出張出掛けるのがましいとの建議朴長官よりけるや意外にも々と、「いつ外務長官りで出掛けねばならぬとったかこれからは大統領裁可けずに長官判断必要ならば夫人同伴するがいとわば白紙委任されわけだ

しかし歷代長官遠慮して1,2度夫人同伴外国出向くのがおちでそれも他人視線神経らしたものだった

しかしながらこの白紙委任みをちゃっかりけたのが外交官夫人生活して海外事情れていたしその上旅行なによりも当然一緒出掛けることとっていたしもあえてこれをめる理由いとえていた 

二年一間外務部長官在職しながら14海外出張なったその大統領公式訪問5回隨行国際会議6回参席した訪問した3016とは公式外務長官会談なった大統領隨行場合除外してほとんど全部妻同伴したのはうまでもない

まさに世界ってみたいかったがのおかげで夫婦同伴々がましがるほどの贅沢わったものだ