本部三役 - 企画管理室長 [二十二]   -   번역 [飜譯]/韓日飜譯 [한일번역]

企画管理室長
再び踏んでみるソウルの土地はかちあちと凍り付き, 風も厳しかった. それでも氣分は至って爽快、新任朴長官の思召によって理事官から外務官に進級,企劃管理室長という要職へと錦衣還鄕するからだ. いうなれば私の生涯の黃金期を迎えたのだ. 大勢の外務部同僚や家族が金浦空港まで私を迎えに来てくれた.
私はまっすぐ公館へ向かい、朴長官に歸國を告げた. 長官は、帰国でやっかいなことはなかったのかと尋ねる。別に難しいことは有りませんでした、と答えると、朴長官はご苦労だったと微笑を浮かべ、少し気を休めるが良いと云ってくれた.

歸國後知ったことだが、朴長官の人事措置が少からずの波瀾を起こしたそうだ. 朴長官は、就任して間も無く、企劃管理室長を始めとして儀典室長、國際機構局長, アフリカ·中東局長, 情報文化局長 等、本部の要職を電擊的に交替する中で、自分が信任する部下達を座につかせながらも、前職者には何の補職も与えず、全員本部待期に發令したというのだ.
とある新聞は、この人事發令を1面のトップ記事に取り上げ、私の名前三字を大きな活字で示した上、ゴシップ欄に “日曜日の大虐殺”と書くことで、外務部の人事を痛烈に皮肉った。 言うまでもなく人事發令が月曜日の朝行われたからだ.
朴長官はこのような騒ぎにびくともしない屈強な所信の持ち主である。新しい陣容を構えて思う存分働いて見せるぞ、と決意に充満しているのがうかがえた. 

とある機会に朴長官が私に明した、外務部長官の更迭に対する経緯は、次のようだった.
1975年、国連總會で、韓國の問題を取り巻く前無後無な異變が起こった. 西方陣營が提出した、わが政府の立場を反影した決議案と、北朝鮮の立場を反影した共産陣營作成の、まったく相反する內容の決議案が、投票結果により両方とも總會を通過したのだ. これは笑うに笑えぬナンセンスであり、かつ矛盾であった. 師匠に従うと情人が泣き、情人に附くと師匠が泣くといった、古い流行歌があるが, 一方の決議案を取ると、もう一方の決議案は取れないから両方を採択せざるをえなかったわけだった.
この相反の決議案が共に採擇可能になったのは棄權票のためだという. 西方側の案を贊成した多くの国家が、共産側の案に反對を示さず棄權してしまったので、共産側の案も反對表より少し多い贊成票を得ることが可能になったのだ. 非同盟中立を掲げる少数の国家が、わが国を支持しつつも北朝鮮の執拗な得票工作で甘言利說や物質攻勢に負け、たとえ共産側の案に贊成は出来ないけれども反對まではしないと妥協したわけである.

このような矛盾した結果が現れるや、外務部はもとより靑瓦臺も大騒ぎになった. 何たることかと興奮した. なお、国連で毎年わが国の問題を取り上げているものの、果たしてそれがどのようなメリットをわが国に与えるのかという疑問がわいた。强制力など微塵もない決議案一つを通過させるため、数多くの国家に対して得票工作を行い、そのために莫大な努力と經費を払う必要があるのかどうか、再評價するに至ったのだ.
国連総会に首席代表として参加した金東祚外務部長官が憂鬱な様子で歸國した. 朴東鎭駐国連大使も政府の訓令に従い歸國した.
翌日、靑瓦臺で朴正熙大統領主宰下の會議が開かれた. 国連對策に關する率直な意見交換を行うという旨だった. この場で、金東祚長官と朴大使は各々違う見解を披瀝した. 金長官は、残念にもこの度の国連總會では二つの決議案が同時に採擇される異變が起こったが, だからと言って自ら後退し、国連での韓國問題討議を打ち切らせるのは持っての他と思う, 来年はより强力な外交活動を行い、共産側の案が採擇されないよう全力を尽くすと誓いつつ、これは米国政府の立場とも一致することだと述べた. これに対し朴大使は、これ以上国連での韓國問題討議は無意味だ、韓半島の問題解決策は当事者である南北韓が直接に對話を以て探しだすしか無いと考えるので、今後の国連での韓國問題討議は止揚するのが良いと思うと述べた.
以上の兩論を置いて様々な意見が行き交ったが結論はなかなか出ず,やがて朴大統領は會議を打ち切った. しかし朴大統領は心の中で進むべき道をすでに決めたのだった.
翌日、朴大統領は朴大使だけを呼び、朴大使の意見通り国連での韓國問題討議を止揚する方針を採擇することに決めたと伝え, これを汐に外務部長官を更迭する、朴大使をその座に起用する考えだから、黙ってニューヨークへ戻り帰国準備をするようにと、言いした.

朴大使は政府からの正式發令を待つ間色色と構想に取り組んだ. 外交の基本方向や, 外務部の当面課題, 又は本部の陣容構成などに関し、長年の外交官生活で得た經驗と普段の考えを基にして、靑寫眞を描くことが出来たのだった. それを以て長官に就任すると同時にためらうことなく, まったく電光石火のように実行することが可能だったわけだ.
朴長官は、人事移動を推進するなかで盧信永次官と事前協議を行わなかった. ただ決定事項を通告したのみだった. 盧次官は居たたまれない気持だったたけれども、当分の間は我慢して耐え抜くしか法が無かった. 次官は私が帰国挨拶を述べると、無事に帰ってきて良かったと云い、私が今度の人事發令で企劃管理室長に起用されたことは望ましいことだと思う、どうか今後も朴長官に仕えながら、頑張って欲しいと云った. 朴長官が自分に人事問題を相談しなかったが、協議したとしても意見の改進はなかったろうと付け加えた. ゴルフをやる人は、自分の基準と趣味に合うゴルフクラブを揃えるのがあたりまえで、どれほどspaklingゴルフクラブが良いと勧めても, wilsonが最高だと信じている人は、それを選ぶ。いくら周りで勧めても仕様がないことだろうと、例えて云った. 私はだまって聞いているしかなかった.
盧次官は約四ヶ月後、駐ジュネーブ大使に赴任し, 後釜に尹河廷駐日公使が起用された. またもや周りの豫想を引っくり返す、破格的な起用であったが、誰一人朴長官のお気に入りのゴルフクラブ選びに口を出すものはなかった.

歸國して間もない日曜日の朝、私は退職して無聊な日日を送っている金東祚前長官宅を訪ねた. 数名の外務部同僚がすでに来ていた.
金長官は私を快く迎え、訪ねてきて有難うと言ってくれた. 私は何と慰めの言葉を述べるべきか迷った挙げ句に、長年の間重荷を背負い続けたのですから、當分の間休むのも好ましいことだと思います、と云った. 金長官は、休むのも良いが、無念なことが三つ有る、何処へでも行ける車と、気の向くままに出かけて坐れる事務室、そして手伝いの女秘書が無いのが惜しいと嘆くのだった.

金長官は、自分の座が無くなるのを当日の朝まで全然知らず、翌年の海外出張計劃などを部內の幹部と協議していた矢先に人事發令のことを聞き、仰天したと後で耳にした. どんな座であれ、退くのは辛いことだが、2年間守り続けた外交司令塔の座を突然奪われ、ついでに乘用車, 事務室, 秘書を一度に失った金長官の心境は並大抵では無かった筈だと察された.

実際金長官とは外務部生活を通して少からずの因緣がある. 彼の次官時代に秘書を務めたのを皮切りに、駐日, 駐美大使館でも彼の下で働き, 又本部では通商局長として彼に従った. 金長官は、太っ腹の人物として知られていたが、部下を率いるボス(boss)氣質が誰よりも強いといった点でも有名だった. 有能かつ忠實と認めた部下は直ちに起用し、寵愛し、可能な限り自分の側に置き、携えた. そんなわけで、外務部內にはDJ師團があるとまで云われた. 英語で彼の名前をDongjo Kimと書くことから、頭文字二つのDJが彼の愛稱になったのだ.
私もDJ師團に所屬していると云われたが、自分では、外務部に所屬しているからには個人に所属されるなんて持っての他だ考えていた.
ともあれ、非常に苦しい時期の二年間を外務部長官としてつとめながら、これといった業績も残せず引き退いた金長官が、私としては不敏に思えてならなかった.

企劃管理室長に就任して最初に取り組んだ仕事は、朴大統領の外務部年頭巡視に控え、朴長官の報告資料を整える作業であった. 保安上の理由で巡視日程は予め通告されることなど無く、1~2日前にやっと知るから、突然の巡視でも落ち度のないよう萬全を期するのが急先務であった. 報告の骨格は朴長官自ら組み立てて渡すので, 私は肉を付け、調味料を加える作業だけで済むわけだが、報告の際使用するスライドなどは、視覺效果を活かして作った。朴長官がこれに目を通し、報告內容の聽覺效果を高めるよう作れば良かった. 何度も直したあげく整えた報告資料は、よほど朴長官の気に入ったとみえ、そのまま採擇された.

どれほど良い作品でも、實際の演技の巧さ如何によって評價の高さが決まるものだが, 朴大統領の前で報告書を読み進む朴長官の姿はじつに頼もしかった. 戸惑いや緊張感など全然ない.
年頭巡視は成功理に終わった.
朴大統領は、外交の重要性が日増しに高まる今日、新しい長官を核としてより一層奮發して欲しいと激勵した. 私は企劃管理室長の第一歩が難なく踏み出されたことにほっとした。

次に私が成すべき仕事は人事管理だ. 昇進と補職, 此の二つは役人の體系を維持する根幹になることだけに、公平無私に取り組まねばならぬとは誰もが承知の上だが, いざ實踐するとなると、言葉のように生易しい作業ではなかった. 飯に有り付こうとする人は多いが、茶碗が足りなくて困るように、昇進對象者に比べ昇進させるポストが少いのが難題である. 同じレベルの對象者のなかで数名だけを選び出すと、はずれた者は不平を述べるのが当然だった. 補職に対してもまったく同様、外交網の擴張により住み良い処よりは不便な処に多くの大使館が増えたが、われかれなくそんなところは忌避するのだ. 一時、女子大生の間で最高の配偶者として指折られた外交官の人気がぐっと落ちてしまったのも、きっとこんな理由からだと思う.
実際私も結婚後日本に發令される前に、アフリカのウガンダへ行くところだった. 当時は、發令前に一応當事者の意思を尋ねることになっていたので、生後100日もたたない乳飲み子を連れて、醫療施設もきちんと備えていない処へ赴くのは困ると哀願し、かろうじて免れたことがある.
しかし、今は狀況がまったく変った. いちいち個人の事情を聞いていては厳しいところへ誰も送れない. 朴長官の指示を受けた私は、ホテルの一室を借りて閉じこもり、總務課長と二人で作業に取り組んだ. 昇進から惜しくも脫落した人には補職面で上級公館へ配置するよう気を配った. しかし容易に纏まらない. せめても人事請託や外部の圧力が無かったのが助かりだった.
朴長官は、一晩で整えた 私の作品を別に修正もせず受け入れた. とりあえず無難な人事措置との後評を受けたのも幸いだった.

もう一つの仕事は、豫算配定と、新年度の豫算編成だった. 国家全体の豫算の中でわずか1%を占める外務部豫算をもって、本部の各室、局、並びに大小の在外公館にきちんと分配するのは非常に骨の折れる仕事だった. ぜひ行わなければならぬ事業が、豫算不足、または最初から予算が無くて困っている事業も少くなかった. それらを練りに練って新年度豫算要求書に加えようとしたが、經濟企劃院では、豫算要求のなかで新規事業は認めないとか, 新年度要求額は、現年度の20%以上を增額してはならぬと言いすなど、豫算の配定編成に難癖をつけ、苦労させた.