[隨筆] 外交は踊る [39] : 崔浩中
g. 宗敎有感
わが国では長い間仏教が盛行したが、近年になり基督敎が急速に広がっている。建ったと言えば教会だとの言葉が出る程になったわけだが、それは基督敎信者のがむしゃらな宣敎活動のおかげのようだ。このような宗教風潮の中で、宗教が無い人は野蠻人であるように扱われる場合がたまたま起こっている。だが私は正確に言って宗教が無い。
サウジアラビアに入る際書き出すべき入国カードには宗教欄がある。そこへ回教と書き入れれば言うまでもなく優待を受けるが、無宗教と書くと基督敎とか佛敎と書いた人より段違いに賤待を受けることになる。人間でありながら宗教が無いなんて、との考えが底に敷かれているようだ。
家では仏教を信じて来た。私も幼い頃寺へちょくちょく連れて行かれた。新年になると佛供を成すため寺を訪れる母について行き、色々の仏像に数多く御辞儀をしたものだ。「坊主は念仏より供え物に気がある」との言葉あるが、私も寺のご飯を食べるのが嫌では無かった。肉料理が無く野菜料理のみだがなぜか食欲を引くのだ。
寺へ行き来しつつ、人間は何時かは死ぬことになるが死んだ後善良な人は極樂世界へ行き、邪惡な人は地獄へ行かれるとの話を私は数えきれないほど聴いた。そのためだろうか一度夢の中で極樂世界の門を叩いたことがある。
中学校三年の時だ思うが学友数名が伴って江華島へ遊びに行った事がある。その際私はマラリアに罹ってしまった。ずっと惡寒が起こり熱が上がる時は注射を打てばだめだとの事だが、とある新米田舎医者が注射を打ったのがいけなかったのだ。私は突然40度を越える高熱に苦しめられつつ失神直前にまで苛まれた。
だがその時私はずっと夢を見ていた。白い砂がきれいに敷かれた道端には百日紅をはじめ色んな花が咲き乱れていて、私はその道を一人で静かに歩いていた。真っ直ぐ前にとある城門のような大門があり、太極が鮮明に描かれたその門は閉ざされていた。私はその前まで辿り小さく
「門を開けて下さい」と言いつつ二三度門を叩いた。
その時、心配そうに私を見守って居た友達が私の寝言のような呻き声に驚いて、
「このやつどうしたのかな」と言いつつ私を荒々しく揺さぶったそうだ。それで私は眠りが覚めてしまった。もしあの時揺さぶって起さなかったならばその門が開かれて、私はまだまだ幼い身で極樂世界へ行ってしまったのかも知れぬと今も私はたまに考えることがある。
しかしながら私は仏教信者では無い。基督敎に近付く機会も別に持たれなかったが、やむを得ず行く事になった教会で聴かれる讚頌歌, それに牧師の説教がどうしてか耳に逆らい、何故かは知らないけれども僞善の仮面をかぶって話すのではないか、と考えたりしたものだ。
私が軍隊に入っていた頃、軍牧等が集まってどの部隊が過ごし良いとか收入が多いといった話に熱中しているのを見て大きく失望した時がある。この頃は商売に長けた牧師等が商街の中に教会を立てて多くの信徒をかき集めた後それを高価で売り、他の教会を始める事例がたまにあると言われる。このような事柄が私に基督敎や牧師等に対する良くない感情を持たせるのかも知れない。
1960年代末駐美大使館で勤務した頃、未だ僑民社会がさほど繁昌しなかった時だったにも拘らずワシントン市内に数多くの韓人教会が乱立しているのを眺めつついまいましく思ったものだ。美国のロスアンジェルスやニューヨークは勿論のこと、オーストラリアのシドニーにも数百に達する韓人敎会が敎勢拡充に熱を上げている嘘のような事実の前で、我々は果たしてこの現狀をどう見れば良いのか判らない程だ。
バイブルの教えとか説教内容はすべて正しい。要は聖職者等自らその教え通り、自分が說敎する内容通りに生きているのかが問題である。もっとも、聖職者達も人間であるからには常時善良で正しいわけにはゆかないが、それならばいっそ聖職者への道を選ばなければ良かったではないかと思われるのだ。
サウジアラビアで目擊した回敎道の生活相は出過ぎるほど嚴格なものだった。早朝日が登る時から始めて日に五回づつ礼拝を行うのだが、その時になると走っていた自動車も止まり、搭乘者全部が降りて遠くのMeccaへ向かい繰り返し御辞儀をする光景を私は高速道路を走りつつ数多く見たものだ。市内はその時毎撤市のようになった。礼拝を行うために店の門を閉めてしまうのだ。
ラマダン(Ramadan)と言って一ヶ月間続かれる断食期間には日が上がる時から沈むまで飲と食を全然取らないようになっており、ハジ(Haji)と言う聖地巡禮期間には、百万を越える回敎徒等が世界各地からMeccaへ集まって来る。死ぬ前に必ず聖地を訪問せねばならないとの固い信仰心が彼等をその場所へ集めるのだ。彼等は苦しい中で貯めた金錢で羊を買い、それをマホメットに捧げる事を一つの義務と思う。高温に悩まれつつ聖地で息が止まるのをかえって栄光に思いもするのだ。
しかしその社会にも僞善や假飾はあると見えた。一日に五度はおろか二度も全うに礼拝しない人が居ると思えば、ラマダン斷食期間には予め家族を連れてヨーロッパやアメリカへ休暇旅行をする上流層人士も居る。そんなわけだろうか私にはそちらで暮した三年間、回敎の教理がどんなものか知りたいとか回敎徒になりたいとかの衝動などは全然無かった。我が国民の中に五万近い回敎徒がいると言うが、何故そうなったのか自分としてはその理由を知る術がなかったしまた知る必要も無かった。
この世にはその他にも様々な宗教があり、その宗教を起した聖者が多いが、必ず誰かを信じて従わねばならないとすれば、私とは何ら関係の無いさる人よりは自分の祖上を択ぶのが正しいと私は常に考えて来た。私が今ここに存在するのは即ち祖上のおかだ、との厳たる事実が私にそう考えさせるのだ。
とある不幸な人が「お母さん、どうして私を産んだの」と泣き叫んだそうだが、その不幸を勝ち通して人間らしく生きて行く力と勇気は父母が与えるので、ルンビとかベツレヘム、又はメッカで生まれた誰かが与えるものでは無いと私は考えながら生きて来た。
善良に、寛大に、そして勤勉に生きるべきだとの教えは、人間が生きる世界何処でも同じく通ずる真理で、釋迦牟尼, クリスト、モハマッドのような誰かの教えで初めて知る事ではないのは確実だと私は信じて来た。
死も恐れることでは無いと常に私は自分に言い聞かせた。夢を見ず永遠に眠る事、それが即ち死亡であるだろうと私は信じているが、万一死んだ後に來世がるとすれば、天国でもなく極樂世界でもない、もっとも地獄では無い、父母が居るその側へ行きたいと考えつつ私は生きている。
だから私は宗教が無いのを少しも恥ずかしく思っていないし、かえって堂々として一生を静かに生きて行こうと考えている。
h. 健康の祕訣
私を見ると誰もが顔色が良いと言う。健康に見えるということだ。公職に就いていた頃は苦労すると労うように、または健康に注意しろと忠告でもするように少し疲れて見えると言ってくれる場合が多くて負担になったものだが、もう暇な身になった所為だろうか、健康に見えると言うので気にかかることなど一つも無い。
そんな話を聞く度にただ嬉しそうに居るわけにものいかないので、体重が少し増えたのが気になると言えば、その位の歳では痩せた体より重量感があるように見えるのが良いと言われる。この話も聞いて悪いはずが無い。
実際私は健康な方だ。病院を訪れなかったのが十年以上になるからにはそれで健康が立證されて余ることだろう。健康診斷を受けに行った事も無いのかと訊けば少しすっきりしないけれどもそうだと答える。すっきりしないりと感じる理由は、年に一度位健康診断を受けてみるのが常識であるものを私はこの常識から外れている故だ。
しかし自分なりに健康診断を受けない理由がある。自動車も約五年位使うとあちこちが悪くなるのがあたりまえだが、人体だって6~70年も使い過ぎたのだから無欠で居るわけが無いはずだ。
でも幸い人体は機会とは異なり自力更生の神祕な力を備えている故、これといった症狀が無いのに努めて病院へ行って、健康に大きな影響を与えないばかりかそのままにしておけばひとりでよくなる小さな缺陷を敢えて引き出す必要など無いとの考えである。自ら難を招く必要が無いと思うのだ.
ずっと以前に有った事だが、海外へ出るようになった一人の外交官が赴任の前に健康診断を受けにとある病院に入院した。数日に渡る綿密な檢診の後大體的に良いとの診斷を受けると、入院費が惜しかったのか、でも少しは良くない所が有りはしまいかとむずかった。この時医者が、心臓の鼓動が少し不規則だとなにげなく一言しゃべったのが災いだった。その外交官は自分の心臓に自信を無くし、その後長い間不安の中で過ごしたのだ。結局何事も無かったが。
健康診断を受けなくとも良い程のコンディションを維持する健康法は何かとの質問が出そうだ。だが、これに対する答弁はこれといったものが無いとの実に不誠實さである。これが事実である故だ。
それでもあえて一つ言って見れば、心を安らかに保つのが上策と述べたい。誰もが私に楽天的だと言いつつ、この世を容易く生きると言うが、それは何と言っても持って生まれた天性のようだ。私はこれを大きな福と思いつつ生きて来た。誰もが迫り来る予め憂いせず、仕事を纏めながら緊張し過ぎせず、過ぎ去った事を敢えて後悔しなければ、精神衛生は言うまでもなく、身体保健にも良くない影響を与えない事だけは確かでなかろうか。
ストレスが積もれば体に悪いと言うが、そのストレスから抜けずに苦しみ怒り出すのは禁物だ。我々は癌を悪い病と警戒するが、よく話す鬱火症と言うのが肝癌とか膵臟癌の様なものと一脈相通するものと私は信じている。酒を多く飲む人より悩みが多くよく怒る人の中に癌患者が多い事実を発見するのは偶然の事では無さそうだ。
酒の話が出たからだが、私は酒を相当多く飲む方だ。豪酒家にはなれなくとも愛酒家にはなり余る。毎日酒を飲んでおり、その期間も数十年に到ることが誇張では無い.
酒は肝臓を害する故一週間に2、3日は口に付けずに肝を休ませるのが良いとは常識だが、私はこの常識からも外れて毎日酒を飲んでいるのだ。
そうしつつ私は一つの屁理屈を持っている。人間は誰もが昼夜関わらずに息を吸いつつ心臓を休まず走らせており、一日も欠かずに食べ物を攝取することで胃に継続消化作用をさせるが、肝臓のみ必ず休ませねばならぬ理由は無いはずだとのことが私の怪弁と言えば怪弁だろう。
肝臓に適当な刺激を与えるように飮酒量を調整すれば良いとあえて自慰しつつ、家では晩酌のつもりで少しだけ飲み、外では座と釣り合う位適切に飲んで来たわけだが、それでも私の健康がそれなりに維持去れているのは幸いなことである。
煙草はどうかといえば私は最初から煙草は口に付けなかった。高校生の頃誘惑されたことがあるだけで、軍隊に居た時配給で貰った煙草を口に付けてみたが苦いだけで続け様にくしゃみが出るので、こんな物をどうして吸うのかとの拒否感を強く感じたわけだ。
これはほんとに良かったことだ。ただ晩年に入り、香ばしいシガー(Sgar)の香りを吸うとか、パイプをくわえている素敵な場面を見ると軽い誘惑を受ける場合があるが、それを退けないほどでは無い。
体重を減らすために煙草を吸う人が居るそうだが、私は煙草を吸わないためか体重が少し重い方だ。そればかりでなく、酒を多く飲み、その上いろんな肴と一緒に飲んでいるからには太らない訳が無い。
でも私は体重が重いことをさほど心配しない。伸長に対比する適当な体重に関する学説も色々ある中で、体重の比律を高く持つ新学説が出ると思えば、体重が少し大い方がより強い抵抗力を持つと主張も有るからにはあえて体重を減らそうと苦労する事無いとの考えだ。ただ口に合う食べ物を過食せず楽しく取り、よく消化出来たらそれで足りると信じている。
I. おまけに生きる人生
生きている間誰もが嘘を吐くことがある。一度も嘘を吐いたことが無いと話す人が居れば、その言葉自体が嘘である。ただ、誰でもちゃんと中味が見通せる嘘が三つ有ると言われる。
一つは歳取った処女が嫁に行かないと言う話だ。もう世の中がすっかり変わったので嫁に行くのを恥ずかしがらなくなったのでこの言葉は聴くことがほとんど無くなった。もう一つは商売人が元を切って売ると言う言葉だ。いつも負けて売っていては元金が底をつくだろうに、元を切りながらうまく商売しているのを見ればその内心が窺われるのだ。
残りの一つは老人がもう死んでしまおうと言う言葉だ。死にたくないので様々な補藥を取りつついつも体に気をつけながらも口先だけでそう話すのだ。私もすでに七十を越えたから老人であるのは間違いないが、まだ死のうとか死ぬ時が来たと考えたことは無い。
だからといって、巧い手でも使って長生きしようとの欲も無い。1930年に生まれたので2000年には七十歳になり、20世紀と21世紀の2世紀にかけて生きている故、それで足りると言うべきだろう。というわけで今からはおまけで生きる人生になると言えるが、おまけも多いほどよかろうが無理に多いおまけを持ちたくは無い。かえって多いおまけよりは充実なおまけを持ちたいだけだ。
幸い私の健康は良い方である。その上時間的余裕も多い。この多い時間をどう善用しようか。優先順第一位は端然ゴルフだ。腕前はそれほどでも無いが心の通じる友人等ときれいな空気を吸いつつ青い芝生の上に白球を飛ばすというのがどれほど素敵な事だろうか。
国内だけで無くあちこちの国へ出掛けてゴルフを楽しむことも出来る。IMF寒波, 不景気等で誰もが苦しんで居る中で気にかかるのは確かだが、七十を越えた歳で余生を楽しむのを人々が厳しく嗜める事は無いだろうと期待するばかりだ。
ゴルフ以外にもひとつ餘暇善用に良いのは旅行と考える。国内旅行も良いし海外旅行も良い。この広い世に行きたい処がどれほど多いのか。現職に居た頃は時間に追われてゆったり廻れなかった所をあちこち探し廻りなつつ観たかったのをじっくり眺め、食べたかったものを探して味わうのがどれ程嬉しい事なのか。
長い人生を生きつつ仕事も多かったし不満も少なくなかったが楽しい事も多かったし栄光もあった。過ぎ去りし日々を回顧しつつ改めて感じるのは、この世のもの全てが月日が過ぎれば萎れるとか錆びるとか色褪せするということだが、私が享受した栄光もその色が相当色褪せているのが事実だ。誰があえてこれを塞げようか。
だが私にはどのような後悔も餘恨も無い。ただおまけに生きる人生をただ楽しむのみだとの淡々たる心を携えているのみだ。