[隨筆] 外交は踊る : 崔浩中 [38]
d. 停年退職
どれほど仕事が巧くて限りなく努力しても何時かはその座から退く時が来るものだ。IMF寒波を迎えた以後経済状況が悪くなり、働き盛りの歳で職場を失った人々が續出する現象が今日まで続いているけれども、一生働いて来た職場を退くのはうら寂しいことである。私も三十六年間勤めた公務員座から余儀なく退いてしまったが、過ぎ去りし日々の経験をよみがえりつつ現職末年に過ごした一日を書いてみると次のようになる。
朝目覚めても起き上がるのが嫌になればだんだん官職から退く時が来たなあと考えられる。夜中に何度もトイレへ行くのでぐっすり眠れなかった所為か疲労が抜けきらず、さほど飲んでなかった昨夜の酔いが覚めきれないような気分が疲れた体をもう少し寝床につかせる。
むりやり起き上がって食欲の無い朝食を済ませ外出着に着替えるのだが、どうしてかネクタイを結ぶのが嫌になり、もう官職から下りるべきかなあと考えるのだ。どうして窮屈窮まり無いこのネクタイで毎朝首を絞めねばならないのかうなずけないし、これを良くも三十年間耐えて来たがもうこれ以上耐えられない、ネクタイ絞める洋服に代わってより簡単な着こなしで伸び伸びと過ごすことは出来ないだろうかとの思いがまさる。
だが、地位が上がってから乗用車が毎朝迎えに来るのでそれに乗って楽に職場へ向かいながらも、型にはまった出勤に何らの興味も感じなくなるともう官職を辞めるのが良かろうと考える。出勤時間を守る事が鉄則だが、交通混雑でのろのろ走る車の中に座って、まあ少し遅くなっても大丈夫だと平然としているように見せかけるが、時間に縛られた人生が退屈になるのだ。
事務室に座り書類を見ようとすれば必ず眼鏡をかけねばならないが、眼鏡をかけても字が鮮明に見えないのでやっと数行読むと兩眉間が痛くなり始め、官職から退く時が近付いて来たなあと推察する。字がどうしてこれほど小さいのか、せめて漢字が混じっていれば少しは良かろうに、ハングルタイピングになっているので、心をこめて読んでもなんの話かさっぱり解らなくむしゃくしゃするのだ。
たまには直接文を綴る時があるけれども、文を書くのが嫌になり、どれ程がんぱっても思った通りの文が書けないと未練無く官職から退くのが良かろうと思ってしまう。文章が上手いと学校でも職場でも誉められたこの身が何時の間にこうなってしまったのか情けなくなる程だ。
愛する部下が書類を持って来て熱心に報告するのだが、それを退屈に感じるだけでその報告に対する業務指針を下ろすのが億劫になり、各々がうまく処理することを望むようになるともう官職から下りるしか無いと自ら悟ってしまう。
毎日繰り返される会議に参席するのが嫌になり、なんか知ったかぶりで発言するのはもっと嫌いになり始めると、何も考えずにあっさり官職から退くのが適当だと自覚するようになる。何の会議がこれほど多いだろう、くだらない仕事に付いて長時間議論した末にこれといった結論無しになる時は、どうして腰が曲り口の中で臭い香りがいっぱいになるまで縮こまってこんな苦労をするのか解り知れない。
今日はどうにかこうにか過ぎ去るなあと思っていると考えてもいなかった事が起って騒々しくなり、その解決策が頭に浮かばないとほんとうに官職を捨てる時が来たのを解り知る。こんな事柄が起っても慌てず落ち着いて善後策を講究するだろうと、多い月給をあげながら高い座に座らせたのに、その期待を背いて座のみ占めている自身が厚かましくさえ思われる。
大統領になれなかったからには上司の業務指示を受けるのが妥当だが、誰かがこうしろああしろと言うのが聞辛くなり、それに従うのがしゃくにさわり始めるとほんとに官職を止める時が来た事を首肯するしかない。これといった案でもない物を出しては大層な妙案を考えたように堂々たる姿勢で指し図する上官の前で、それは正しく無いと抗辯も出来ず、話しても通じないと諦めてしまい、なるようになれと自暴自棄する自身があわれっぽくなる。
退屈で長い一日が過ぎて家に帰りゆっくり休みたい心ばかりだが誰を接待するとか、逆にやむなく接待を受けねばならぬことが煩わしく感じ始めると、これ以上苦労せず今すぐ官職から退こうと決心する。料理も嫌、酒も嫌で、心にもない上手い話を言い合うのも嫌なのに、なんで高額を払いながらこんなうんざり事を日毎繰り返せねばならないのか怒りがこみ上がるのだ。
飲んだ酒は正直で、陶酔して家に帰る車の中で、もう全部投げ捨てて緑の野原へゴルフをやりに出掛けるとか遠くへ旅行にでも出掛けたいとの思いがまさると、男らしく辞表を投げ出して官職から下り、気楽に野人生活をしようと決心する。誰の機嫌も窺わずに思いのまま野原へも出掛け、山や海を捜し歩くのがどれ程自由で愉快な事であろう。
しかしながら次の日の朝も昼も夜も同じ日課が繰り返される。官職を味わった人には自ずから座を下りる事がすごく難しいことのようだ。自ら辞表を出して退いても人々は何か過ちを犯して免職になったと思うかも知れない。一旦座から退いた後が思ったように自由でもなく愉快でも暇でも無かったらどうしようとの恐れもある。直に迎えの車も来ず、出掛けて座れる事務室もない、お茶を入れてくれる女秘書も無くなってしまえば、その不便で息苦しさを耐えることが難しいのは明らかだ。
で、どうすることも出来ずに一日二日延ばしている優柔不斷な姿勢に終止符をぐっと押してくれる日がついに来る。停年退職の日である。この日こそ官職より退く全ての人々には文字通りのせいせいしながらも名残惜しい日であるに違いない。
e. 食道楽
外交官は交渉を上手くやらねばならないが、そうするためには社交を上手くやるのが重要である。大様に社交というが、人と出会い酒も飲み食事もする座を円満に導いて行く事を上手くやらねばならないのだ。
よく人々は生きるために食べるので、食べるために生きるのでは無い强辯するが、率直に言えば、生きるために食べると言うよりは食べたいので食べると言うのが正確な表現と言えよう。数日も飢えた人とか重病にかかった人でない限り食べ物を前にして、食べなければ死ぬから生きるために食べなければならぬと考える人は稀れであろう。腹が減っていて、美味しく見え,食べたいので食べるのが普通である。ずっと同じ物を食べると嫌になるので新たな物を捜して食べるようになるのも、食べたいので生きるとの言葉を裏付けしてくれる。
其れ故食べる事に趣味を持つ人が多くこれを食道楽と言うが、歳を重ねながらこの食道楽に嵌ってしまうのは、その多過ぎる食べたいものを死ぬ前可能な限り沢山食べてみたい慾のためだ。
どれ程食べたくても欲通り食べれない切なさで胸を痛める人が多い。金が無くて、消化がよく出来なくて、食べたいのを探せなくて食べれない等々だ。旨い物が食べたいならば食福を持って生まれねばならないとの話が無駄言葉でないのを容易く理解できる。
歳を重ねつつ良く食べるためには酒も共に添えねばならないことを悟る。酒を飲みながら食べると食べ物が容易く喉を通るのも事実だ。酒を飲めなくとも食事をたっぷり取る人が居るには違いないが、酒を良く受け入れる体質の人がやはり飲食をより多く楽しむとの事実に異議を提起する人は無いと思われる。
私は自分が食道楽を趣味にしているとは思わぬが、食福を身につけて生まれたことは信じている。それに酒を受け入れる体質も他人に劣らないとの自信がある。
旨い物を食べるために必ずお金が多く必要ではない。高い物のみ美味しいとは限らず、尚、どれ程美味しくても限りなく食べれるのでも無い故、ポケットがさほど軽くない位ならば美味しいものを探して食べれる。私の場合がそうだ。
薬の広告にこの消化剤が有る故安心して食べてくださいとあるが、消化剤を服用しながら飲食を楽しむのは実に哀れで物悲しい。過食だけやらねば消化には心配ない程度の健康体質なら飲食を安心して楽しむことが出来る。私の場合がまったくそれである。
多くを知っているから食べたいものも多いだろうといった知ったかぶりの人を揶揄する言葉がある。実際知らなければ食べたいものも無いし、従って食べてみる事も出来ずに終わるのは当たり前だ。だが知っていながら食べれない気の毒な場合も多い。求めようとしても求めれないとか、特定な場所へ行かねば食べれない場合などだ。これに対する解決策は食べたいものがある所を探し出すしかないけれどもこれが煩わしくて思う通りになれないので、国内や海外に関わらず、地域を通る際そこ特有の別味飲食を食べておくのが上策である。私の場合がそうだ。
斗酒不辭との言葉がある。誇張言葉ではあるが聞いて耳障りになることではない。男児の豪快さが聯想され却って頼もしい感じもする。つまみ無しで酒をよく飲む人が居るが、同じことならつまみものを取りつつ酒を飲むのが自分の体にも良く、側の人の眼にも良いのだ。鮮魚のさしみには暖めた正宗が似合うし、柔らかいビーフ・ステーキにはレッド・ワインがぴったりの如く、料理によって適当な酒があれば、彩り良く合わせて飲物と食物を楽しむのがカッコ良く味も出る。私の場合が実にそうである。
私は必ずこの職業を選ぶとの考えは無かったが、偶然な契機で外交官になり三十六年にもなる長い歳月を送った。私は外交官になったのを一度も後悔したことは無いと口癖のように言ったが、酒と飲食の好きな体質に鑑みると私は正しい職業を選んだようだ。
振り返ってみれば、外交官になったおかげで世界の様々な所を探し歩きつつ、多く食べもし多く飲みもしたものだ。また、基本的な外交手段の一つが食事をもてなす事であるとの口実で、招待を受けるとか客を招待しながら多く飲み多く食べた。そんな時毎に私は食福を持って生まれたのを幸いに思い、また有難く思った。
良く飲み良く食べた所為か私の体重は少し重いようだ。私を見て体重を少し減らすべきだと忠告する人が居るが、私は別に気にしない。とある先輩が話した言葉が浮くからだ。食べ過ぎてブクブク太ったその先輩を見て、回りの友達がそんなに沢山食べると長生き出来ないと忠告したそうだ。それがその後十年が過ぎてみると、そのような忠告を言った友達は全部死んだが自分はいまだに良く食べつつよく生きているとのことだった。
今自分は知らず知らず食道楽に嵌まっている。未だに食べてみなかった数多くの食べ物を必ず食べてみようとの欲を抱きつつ、どうしても人間とは食べるために生きているような決まり悪い考えがするのを完全に振り切ることが出来ないのはどうしてだろう。
f. 豪飮と暴飮
豪飮と暴飮は飲む酒の量で見るとさほど違わない。同じ量の酒を飲んでも、それが豪飮とも言えるし暴飮とも言えるのだ。酒を度々飲めば馴れてしまうと言うが、間違った話では無いけれども、持って生まれた体質が酒量の大小を決めてくれるので、度々飲んだと言って大飲みになるわけではない。言ってみれば体質をそのように持って生まれてこそ豪飮が可能なのだ。
持って生まれた体質と言っても無造作にどんどん酒を飲めば豪飮家だとは言えない。どれほど飲んでも品位を失わずに楽しく飲めてこそ豪飮になるのだ。
自分が耐えれる以上の酒を飲むとか、何か不快な事又は気持良い事があってむやみに酒をあおればこれは暴飮になる。暴飮すれば他人の眼にも余るばかりか自分の体を害するわけだからやってはいけないのは明らかだが、暴飮する癖がついた人を容易く見ることが出来るのは実に気の毒な事だ。
私は酒を相当飲む方だが暴飮する側に入るにはまだまだ遠い。気持良く飲み、人と交わるのを好み、夕食の前に一、二杯飲むのを欠かさないとのことで人々は私を好酒家と呼んでくれる。ウイスキーの瓶を見ただけで私の口元に微笑みが浮かぶと回りの人は私を羨ましいがる程度だ。
酒を毎日飲めば肝臓が固くなり体によくない故、一週の間2、3日は酒を絶対飲まない方がいいと言うが、私は一日も酒を欠かさないのを誇りに思っていた。飯を毎日食べても胃が全うに
作用する如く酒を毎日飲んでも肝は動くようになっていて、酒を飲んだり飲まなかったりするのが却って肝の機能発揮を不規則にさせて良く無いと言うのが私の持論である。実際多くの医者等が他人には酒を飲むなと言いつつも自身は毎日少なく無い両の酒を飲んでいるではないか。
酒を毎日飲むからだろうかこの頃は酒を飲まずに夕飯を食べるときれいに消化出来ないようで、そんなことを考えながら食事を終えると間違いなく消化不良の症勢が起こる。それ故風邪気味でも私は酒を飲む。アスピリンを飲んだ後で酒を飲んでは駄目ならば、私はアスピリンを止めることは出来ても酒は止めれないだろう。風邪で喉が腫れ病院へ行って治療を受けた後、酒を飲みに行くことになっているが少し飲んでもかまわないかとの質問で無い同意要請を受けた医者が、仕方無さそうに少しだけ飲みなさいと忠告してくれた事が思い出される。
とある牧師家の夕食招待を受けて行ってみると、料理はよく整えたものの酒を出さないのでやっと食事を終えた事があった。その後また招待を受けた時は予め了解を得て酒を持って行った事もある程だ。
回敎徒は敎理に従って少なくとも公式的には酒を飲まない。宴會席上でも酒を出さない。マレーシアとサウジアラビアで勤務しながら私はレセプションとか晩餐会に招待されるのが別に嬉しくなかった。到底招待を拒絶するのが難しい場合は予め家ですばやく2、3杯の酒を飲み、宴会に参席することで消化不良の事前防止が可能であった。
こんな自分にも暴飮した経験がある。美國で勤めた頃同僚一人が娘の初誕生日に数名を家へ招待した。晩酌の酒を少し飲んで夕食を終えたことまでは良かったが、食事を終えてもまだ別れるには早かったので再び酒飲みが始まった。海外勤務を終えてソウルへ帰ることになったがウィスキーが一ボックス程残っているから思う存分飲んでみようと言うのだ。
夕食を腹一杯食べたので胃腸には別に負担が掛らないはずだから水を足さずにストレートで飲もうとの提議が受け入れられた。自信の無い人は自ら退き、4、5名が残って杯を回し始めた。俺は負けぬぞとの考えで誰も杯を受けるや否や一気に飲み干して側へ杯を回す。満腹なのでつまみも要らなかった。何回廻っただろう、酒が酒を飲む具合いになりその遊びが終わったのは酒が底をついた視点だった。
豪飮へ向かい暴飮に終わったのだ。もっと飲もうとしても酒が無いので仕方無く座から立ち上がった時、まっとうな人は無かったようだ。それでも各々車に家内を乗せて家まで行ったからひやっとする。一方通行路を反対に入ろうとするとか、東に向かうべきを西へ車を走らせもした。横で冷や汗を流しつつ導く夫人のおかげで、また、すでに午前零時過ぎで道路がすっかり空いていたのでせめても事故無しで自分の家へ帰れたのはもっけの幸いだった。その上空いた場所へちゃんと駐車までした技はまさに驚くべきである。
次の日出勤した人は無かったようだが、自分は出掛けたと主張する人がたまにあったが見なかったので本当かどうか知る術がない。出勤したとの人も1、2時間粘ったあげくにさっさと退勤したと言う。私は不名誉ながらも欠勤するしかなかった。
わが国の人々は酒を飲み過ぎる方と思える。ウイスキーをビールカップで飲むと思えば、器や灰皿で飲むこともあり、ビールにウイスキーを垂らし、爆弾酒と名付けて飲むこともある。尚、21年~30年寝かしたとの高級酒でないと相手にしないどころか、どれほど飲んでも酔わないとの事がなんか誇りと思うようだが、酔わないのが能では無い。どうせ飲む酒ならきれいに気持良く酔う癖を身につけるのが望ましい。
豪飮するとの意欲がともすると暴飮に突変しやすいのを常時肝に銘ずる必要がある事を痛感するのだ。