'奈良の玆光院を訪れて'   -   기행문 [紀行文]

去年の暮に古い手帖やノ-トを整理していたら,思いがけないものが
眼にとまりました.何年前だったか,NHK衛星放送で
'テレビ生紀行,エッセ-ロマン '庭を語る'というシリ-ズ物を放映していて,
その中の一つを觀た後, 感想文らしきものを綴ったのが見つかったのです.
讀み返すうちに,ぼんやりといくつかのシ-ンが頭に浮びました....
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朝六時二十五分, テレビ畵面に映る玆光院へのゆるやかな坂道をみつめながら,
五年前の事を思い出し, 無限の感慨をおぼえた.
....あれは生れて初めての日本旅行だったなあ.
法隆寺, 玆光院を含む奈良定期觀光ツア-に參加し, 大勢の日本觀光客の中で,
ただただ戶惑うばかりだったっけ.

いまスクリ-ンに見入りながら, その時の風景を頭に浮かべつつ,
ああ,あれはそうだったのかと,目から鱗が落ちるような氣持だった.

田監督の聲は實に良く響き, 私の耳の中にはっきりと語りが傳わる.
要點だけかい摘まんだ說明は,日本の歷史や傳統文化の理解に役立ち,
樣樣な角度から撮った玆光院の全貌は, 氣付かなかった眞の美しさを
しっかりと見せてくれた.

私が訪れた三月末には, 庭のつつじに花がぼつぼつさき始めていたが,
今度の畵面は丁度その頃とは反對の季節で,あの日, 庭へ降りて撮った記念寫眞を
取り出し,見較べながら,ああ,あの時は私こんなに若かったんだ!と妙なところで感心したりした.

あの時私は, 遠くの若草山等の景色を借りた, いわば借景と言うものに
興味をもって眺めたものだが, 今朝はものすごく霧が立ちこみ,幻げにしか
その素晴しさを見られなかったのが殘念で仕方ない.

今度の映像でちょっと眼障りだったのは,道端の洗濯物のはためきだった.